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2014年12月31日水曜日

モノよりもコトを贈る

福袋を買い求めようと前日からお店の前に並ぶ人も多い。

たしかに購入金額以上の価値のある商品が袋詰にされているので、
年の始めのご祝儀としては最高のプレゼントであろう。

でも、ブランド品かれこれモノはそこそこ持っているだろうから、
こんなものを福袋にしたらどうかと近鉄デパートは考えた。

「あべのハルカス満喫!!福袋」(2人1組30万円)。
今年オープンした日本一高い「あべのハルカス」の展望台
「ハルカス300」をバレンタインデーに貸し切るとともに、
大阪マリオット都ホテルのエグゼクティブスイート宿泊などが
セットになった福袋である。

あるいは、天王寺動物園の「動物お世話体験福袋」(2人1組、2015円)は、
動物を間近で感じられる毎年人気のアトラクションである。

どちらもペアで組んであるのが、売り手さんの巧みさでもある。
ひとりではノーでも、ふたりならイエスとなるケースは多い。

http://bg-mania.jp/2014/12/24123161.html
近鉄百貨店の福袋


考えてみれば、これまでの地域おこしの中には
こうしたモノよりもコト、さらには感動や感激といった
心の満足度を中心にした活動がたくさんあったように思う。

景勝地でもなければ、名物があるわけでもない。
それでも、その地域を訪ねれば住民みんなが笑顔で迎えてくれる。

それも愛想笑いやマニュアル化された笑顔ではなく、
ごくごく自然に生まれてくる微笑みでちょうどいい。

2015年からは、そうした心からのおもてなしの部分についても
しっかりウォッチしていきたいと思う。



☆今年11月から始めた地方応援マガジン「地方ウォッチング!」を
 ご愛読いただき誠にありがとうございます。
 来年もよろしくお願いします。良いお年をお迎えください。

2014年12月30日火曜日

見るもの聞くものすべてが

全然行ったことのない未知の場所へ旅に出たとする。

目に映る風景や建物、耳に入ってくる雑踏の音や物売りの声、
それに香りや味覚など五感でふれるものすべてが新鮮である。

その土地に長く住んでいれば、ごくふつうのできごとでも、
旅人にとっては思わずカメラを取り出したくなるほど
印象的なできごとに映ることもしばしばだ。

そうした旅人目線に立てば、なにもないとぼやいていた地域が
にわかにキラキラ輝き出すことがある。


兵庫県の多可町と西脇市全体にある風景や祭り、施設や人々まで
まるごと博物館にしてしまったのが「北はりま田園空間博物館」だ。

この地域にある有形無形の資源をサテライト(展示物)と位置づけ、
サテライトは歴史・文化・自然・人・グループ・体験などの
カテゴリー別に並んでいて430ほどの資源がある。

人・グループのカテゴリーを見ると、日本の伝統檜皮葺職人さんや
伝統的工芸品の播州毛鉤をつくる職人さんなどが登録されている。


また、ショーケース展示という月ごとの地域のオトクな情報など
トピックスを掲示するというユニークなものもある。

北はりま田園空間博物館では、北はりまファンの皆様に手作りの
ミニコミ誌「にゅーす でんくう」を毎月1日に発行している。

その中身もクイズや前月の活動内容のしっかりしたレポートなど
参加者全員が楽しんで作っている雰囲気が伝わってくる。


「~行政サービスから脱して、自ら決め、自ら行動し、
 責任を負い、その果実を手にすることができる」

同博物館の代表理事のことばである。

http://www.k-denku.com/
北はりま田園空間博物館

2014年12月29日月曜日

1000年先のふるさと

今から1000年前といえば1014年である。
その頃、日本は平安時代で藤原氏が隆盛を極め、紫式部が「源氏物語」を書いた。

そうした時代に生きた人々の中に1000年先のことを考えた人がいただろうか。
今の時代だって、5年先か10年先、よくいって100年先の予測がいいところである。

しかし地球や宇宙の歴史からすれば100年も一瞬にしか過ぎないほどの時間で、
1000年や10000年という単位で見ないと物語を描くことができない。


宮崎県都城市に特定非営利活動法人「どんぐり1000年の森をつくる会」がある。
平成8年から活動が始まっているので、18年ほどの実績がある。

その実績の一つが、どんぐり1000年の森をつくるための植樹作業である。
1年目は2000本、2年目は1000本、3年目は2000本、4年目は7500本
という具合に都城市および周辺町内の国有林に植樹を行ってきた。

植樹の数が多かったり少なかったりするのは、
「できる人が できるときに できることを」行う方式で、
ドングリを拾い、種をまき、苗を育て、山に植えているからである。


この16年間で144,400本、面積にして58,8haにもひろがった。
最初に植えたドングリの木は5~6mに成長し、美しい緑をなしている。

ドングリを植えたことで、森の沢筋には水がチョロチョロと流れて、
照葉樹の森が再生したのである。


この会の前会長鳥集忠男さんは南九州独特の杉だけで作った箱三味線・
ゴッタンの名奏者であり、民俗芸能研究家としても活躍された。

鳥集さんは2002年に亡くなられたが、
「すべての生命の原点は山であり、山から流れ出す水である」と提唱し、
この地道な活動を地域の人とともに進めてこられた。

「できる人が できるときに できることを」と決して押し付けることのない
やさしさの中から、山や水への限りない愛情がわいてくるのかもしれない。

http://www.donguri1000nen.jp/aboutus/index.html
どんぐり1000年の森をつくる会

2014年12月27日土曜日

エコでまとまる。

行ったことはないのだが、スイスのツェルマットは山岳リゾートで、
氷河急行が走るマッターホルン・ゴッタルド鉄道の終点である。

氷河急行という名前に、思わず気持ちが飛んでしまい乗ってみたくなる。
ちなみに、氷河急行は7つの谷、291の橋、91のトンネルを抜けて走り、
平均時速は約34kmという世界一遅い急行でもある。

ここでは環境保護のためにガソリン車などの排気ガスを出す車の乗り入れは
規制されていて、電気自動車や馬車が走っている。


山に囲まれたこじんまりとしたツェルマットによく似たまちが日本にある。
富山県黒部市の宇奈月温泉だ。
2つのまちの空撮写真を見比べてみると、本当によく似ている。

そこで、宇奈月温泉もチェルマットの環境への対応を見習おうと、
2009年に『でんき宇奈月プロジェクト実行委員会』を設立し、
地域住民の協力を得ながら、豊かな自然環境と共生し、
エネルギーの地産地消をめざした小水力発電などの
自然エネルギーの公共交通システム形成に向け活動を展開してきた。

ツェルマットの視察に始まり、落差20mの水を利用した小水力発電の実験、
55℃もある温泉水と湧水の温度差を利用した発電によって得られた電力を、
店舗の照明やイルミネーション、あるいは野菜栽培用の照明に利用した。

また、2010年からは電気自動車のレンタル事業も開始。
さらに低速8輪電気コミュニティビークル(愛称はEMU)が、
温泉街の1周約2.5kmを約20分かけて周回運行している。
このEMUはフラッグストップならぬハンドストップ。
乗りたい場所で手をあげて、EMUの運転手に合図をおくれば乗車できる。
運賃は無料。ルート内は乗り降りは自由にできる。

このプロジェクトの経緯をみると、
2009年3月、「建設業と地域の元気回復助成事業」の募集が行われ、
富山県内の2つの建設会社が下記の内容で応募であった。

立山町の丸新志鷹建設は小水力発電を用いた建設現場で利用可能な
非常用電源システム
 
黒部市の大高建設は水陸両用バスの導入による温泉街から宇奈月ダム湖遊覧事業
欅平から祖母谷までのワゴン車による送迎・観光ガイド事業


応募する前に丸新志鷹建設の志鷹社長が富山国際大学の上坂博亨教授に相談。
上坂教授は、ツェルマットへ電気自動車の視察に行って来たばかりで、
ツェルマットと宇奈月温泉の立地条件が非常によく似ていることに着目した。

上坂教授は2つの企業が協力して
「宇奈月温泉における小水力発電と電気自動車を核とした低炭素社会型観光まちづくり」
をテーマとした実験事業が実施できないかと提案したところからスタートしている。

産と学が描いた夢が、官が敷いたレールの上で動き始めた活性化事業の好例である。

http://www.denki-unazuki.net/index.html
でんき宇奈月プロジェクト

2014年12月26日金曜日

育てるから食べるまで

ハタハタという魚はスズキ目ワニギス亜目ハタハタ科に属するとある。

♪~秋田名物八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコと秋田音頭にも謡われ、
江戸時代以前から秋田の食卓になじみの深い魚である。

秋田県の県魚と書いてあった。県木や県花はよく聞くが、県魚とは…。

秋田県では県魚であるが、お隣りの山形県でも人気の魚だ。
そのハタハタに並々ならぬ愛情をそそいでいる山形県のNPOがある。


酒田市上安町のNPO法人「みなと研究会で」で、卵が孵化しやすいように
酒田北港に産卵床を沈めたりして保全につとめている。

産卵床を沈めた場所は通称水路と呼ばれていて、
毎年12月になると産卵のためハタハタが水路に押し寄せてくる。

「ハタハタ到来」の情報が飛び交うと釣り人がどっと繰り出し、
延長約2キロの水路は身動きができないほど埋まってしまうとか。


また、同法人では地域の小学校で総合体験学習の出前講座を開き、
子どもたちを巻き込んだかたちでの保全活動に取組んでいる。

さらに、「鰰(ハタハタ)まつり&ボランティアフェスティバル」が
同法人主催で開かれた。

フェスティバルでは世界の魚醤の味比べやハタハタの卵塊「ブリコ」を
食べる大会、海藻「アカモク」の効能を学ぶ講演などでにぎわった。

つまり、魚が育つ環境を整え、魚にふれる場をつくり、成魚として捕獲したら、
魚に感謝しながらいかに上手においしくいただくかまでを徹底して考え、
できるかぎりのことをやっていこうという姿勢が好ましい。


ちなみに、山形県の県魚は桜鱒である。
桜鱒に関しても詩や曲を公募して桜鱒の歌をつくったり、啓蒙、啓発し、
地域の人たちとの大切な財産の共有に余念がない。

http://kankyou-npo.org/index.php?FrontPage
NPOみなと研究会

2014年12月25日木曜日

東京駅を造った人の故郷

2014年12月20日、JR東日本は東京駅開業100周年を迎えた。
赤レンガの威風堂々とした建物は東京の陸の玄関にふさわしい。

先日、100年を記念したイベントが催されたが、
記念Suicaの販売をめぐって混乱が生じたのは残念だった。


同じ日に、九州は佐賀県唐津市本町の旧唐津銀行本店でも
「東京駅100祭」なるイベントが開かれた。

こちらは住民団体である「唐津赤レンガの会」が主催した。


東京駅と唐津…いったいどんな関係があるかというと、
東京駅を設計した建築家辰野金吾の故郷が唐津なのである。

辰野は唐津藩の英語学校「耐恒(たいこう)寮」で学んだ後、
東京大学工学部の前身「工学寮」を卒業した。

イギリスに留学して建築をさらに深く学んで、
帰国後、東京駅や日本銀行本店などの設計に携わった。


駅だけが際立っていてもまわりの景観が伴わなければ…
ということで同郷の後輩である建築家曽禰達蔵が
丸の内の煉瓦街を設計した。

煉瓦街はロンドンの銀行街に学んだという。
いずれにしろ、唐津出身の二人の建築家がいなければ、
全国を網羅する鉄道の起点たる東京駅は生まれなかったのである。


その2人を輩出した唐津でも顕彰しようということで、
旧唐津銀行本店で紙芝居や寸劇などが演じられた。

この旧唐津銀行本店は辰野金吾が監修し、愛弟子の田中実が設計した。
東京生まれの田中は師匠の故郷に建つ館であることを配慮し、
外壁は赤レンガ調タイルと白御影石とのコントラスト、アーチ窓など
「辰野様式」の外観を色濃く残している。


辰野金吾~曾禰達蔵~田中実という人系のつながりがあって、
イギリス~東京~唐津という土地系のつながりが生まれる。

そこに、人智と技術から生まれた時代をつなぐ創造物が横たわる。
歴史遺産も視点によって、大きなひろがりがあることを学んだ。

http://www.pref.saga.lg.jp/web/isan_19
旧唐津銀行本店

2014年12月24日水曜日

夜景に魅せられて

昼間はなにもない荒野が広がるだけだったのに、
夜のとばりが降りると、満天の星空が現れる。

あるいは、LEDはじめ人工の明かりを巧みに配置して、
ファンタジックな夜景を出現させる。

こうした夜景を観光の目玉にしているスポットも多い。


その中で三重県四日市市のコンビナート夜景クルーズ、
いわゆる「工場萌え」の経緯について見てみよう。

四日市市には東京在住の四日市出身者が定期的に集まる
「四の会」というのがある。

その四の会の会合で、会員の一人から
「高校時代は、丘の上からコンビナートを見るのが好きだった。
”工場萌え”ブームが来ているので、結構人を呼べるのではないか」
との提案があった。

あたり前のように眺めていた工場群が美しい、カッコイイ
という声がひろがっていって、四日市市の東京事務所は
観光資源としての可能性をさぐっていく。


結果、コンビナートの景観をテーマに、
平成22年シティセールス用のポスターを作成して、
コンビナート企業の四日市事業所や東京本社に配布した。
加えて、関係企業の社内報などに掲載してもらう努力をした。


地元では、観光協会、商工会議所などと連携して、
「四日市コンビナート夜景クルーズ」の開催にこぎつけた。

船の上から工場夜景を楽しむプランで、
定番の60分クルーズと充実の90分クルーズがあり、
今年で5年目になるが、すでに乗船1万人を達成している。

バレンタインデーやクリスマスにはスペシャルクルーズがあり、
両クルーズとも人気を集めている。

また、船による洋上からの眺めだけではなく、
バスやタクシーに乗って地上スポットからの夜景観賞に
市内の観光地めぐりをプラスした車によるツアーもある。

さらに、地上100Mの展望展示室うみてらす14からの
幻想的な工場夜景が気軽に楽しめる上空スポットもある。


全国の自治体は東京・大阪などに事務所やアンテナショップを置き、
たえず情報収集に努めている。

そこで暮らす地元出身者を巻き込んで、
少し距離をおいたところからふるさとの良さを見つめ直してみる。

その良さをアピールする際には、地元だけではなく、
地元に支店支社を置いている企業の本社へも売り込んでいく。

シティセールスの、まさにお手本がここにある。

http://ykyc.jp/
四日市コンビナート夜景クルーズ







2014年12月22日月曜日

再び光り輝く建物

古民家や年代がかった洋館は味わいがあって、
再開発や区画整理などで、遺すか壊すか議論が必要なところである。

移築・移転という手もあるが、やはり建物と土地は密接な関係があり、
共に刻んできた歴史をもっているので、できるかぎり移さない方がいい。


岡山県岡山市の中心市街地に位置する内山下(うちさんげ)地区には、
大正期に建てられた旧日本銀行岡山支店の建物が威風を放っていた。

平成元年に岡山県がこの風格ある建物を取得し、
県立図書館・公文書館として活用しようと計画していた。


ところが、平成10年頃に同建物のある中心街の空洞化が進み、
この建物の有効活用をめぐって「旧日銀岡山支店を活かす会」という
市民組織に活用策の検討を県が委託した。

活かす会は商工会議所、青年会議所、地元町内会、
まちづくりグループからなり、3年後に採集報告書を提出した。

最終報告書では、基本コンセプトを①歴史的建造物の保全と街づくり、
②都市生活の魅力づくり、③芸術文化の振興とし、
本館を「飲食機能を有する芸術文化施設」とすることとした。

また、管理運営方法については「公設民営方式」とし、
県の財政的負担を軽減するため、運営主体が自主企画公演による
入場料収入等を確保することが望ましいとされた。


こうして計画を進め、建物の改修などを図り、
平成17年に「おかやま旧日銀ホール」(愛称:ルネスホール)
として開館した。

趣のあるホールでは様々な魅力あるコンサート等が催され、
展覧会、展示会、講演会、パーティなどにも利用できる。

しかも、ゆったり飲食を楽しめ、夜間も開館されていて
利用者側の利便を満たしてくれる。
こうしてオープンの年にルネスホールは利用者数26,601人、
155万円の収益を生み出した。

http://www.renaiss.or.jp/about.html
ルネスホール

2014年12月19日金曜日

熱意や創意を持続させる仕掛け

洋服を着て、靴を履いて、ハンバーガーや
パスタなどを食べるなど現代の暮らしでは
西洋の様式になじんでいるせいか、
畳、障子、扇子、和紙など和のものにふれると心が落着く。

和のものが洋のものに比べてしっとりしたやさしさがある。
色も原色ではなく中間色が多く目にやさしい。

などなど和のものが好かれる理由はいろいろだが、
きものも、まさに和を代表する衣装のひとつだ。

大島紬、結城紬など日本を代表する絹織物は、
今もその伝統が受け継がれ、心をこめて織り上がっていく。


延喜式まで歴史をさかのぼることができる結城紬は、
2010年(平成22年)にはUNESCO無形文化遺産に登録された。

しかし、生産量は1970年代後半まで最盛期だったのだが、
現在は当時のおよそ20分の1まで落ち込んだ。

織元でも色や染の工夫、結城紬を使った携帯ケースなど小物の開発、
さらには革工房とのコラボでサメ皮の財布をつくるなど、
あの手この手の拡販策がとられている。


結城紬は全工程を覚え一人前になるまでに最低10年はかかるという。
そうした根気と忍耐の必要な仕事に今年4月から取組む女性がいる。

今泉亜季子さんで、彼女は栃木県小山市の職員である。
結城紬の伝承を目的に市が初めて採用した「紬織士」だ。

小山市の紬工房で、師匠の坂入さんから手ほどきを受けている。
今泉さんは幼い頃から手芸や裁縫が得意だったというだけあって、
のみこみが早く、9月には最初の一反を織り上げたという。

研修期間は4年と長く、完全習得に至るまでは大変だろうが、
こうした制度を行政がつくり、後継者を育てていくのは
いいことだと思う。

他の織物や匠の技を伝承していく業界では、
過去にこうした取組が行われたと思うが中座したものも多い。

熱意や創意を、長い期間持続させる仕掛けづくりは大変である。

http://www6.ocn.ne.jp/~oyamashi/tumugi-01.htm
結城紬

2014年12月18日木曜日

雨ニモマケズ 風ニモマケズ

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ…

という宮沢賢治の詩は多くの人に知られている。

この詩を詠んだのは37才の生涯を終える2~3年前である。
その頃、賢治は岩手県一関市の東北砕石工場で技師として働いていた。

小さい頃から野山を歩きまわって岩石採集をしていた賢治は、
「石っこ賢さん」と呼ばれるほど鉱物に没頭したという。

それだけに東北砕石工場では、石灰を使った農地の改善を研究し、
中和剤として製品化して東京などへ自らセールスに出かけた。

その甲斐あって、以前は農業が始まる春先にしか需要がなかった石灰は
2倍以上の売上げを記録した。


ところが、残念なことにセールスに出向いた東京で病に倒れてしまう。
帰郷して療養生活に入り、その時に書いたのが「雨ニモマケズ」である。

同じ頃、賢治は「グスコーブドリの伝記」という作品を発表する。
この作品では、冷害と干ばつに苦しむ農民を、命を投げ出して救おうとする
ブドリという青年が描かれている。

作品の最後にこんなシーンが出てくる。

 ブドリが二十七の年、恐ろしい寒い気候がまた来るようでした。
 ブドリは大博士を訪ねました。
「カルボナード火山島を噴かせられないでしょうか。」
「できるが、仕事に行った最後の一人はどうしても遁げられない。」


遁げられない最後の一人は、まさに農村の生活向上に力を尽くし
病の床にある賢治そのものであると言っていいのかもしれない。

詩人であり、土に生きた農を愛する人だった宮沢賢治の想いを伝え、
彼の魂の輝きが宿る砕石工場の往時を偲ぶことができるのが、
一関市東山町にある「石と賢治のミュージアム」である。

http://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/6,0,149,html
石と賢治のミュージアム

2014年12月17日水曜日

選挙コンセルジュ!?

先日の衆議院選挙の最終投票率は52.66%で、
戦後最低だった前回おととしの選挙の59.32%を
6.66ポイント下回って、戦後最も低くなった。

大雪、ぼやけた争点などいろいろ理由はあろうが、
有権者の半分ちょっとしか選挙に行かなかった
という事実は重く受け止めなければならない。


学校で習った20才以上の男女が身分や収入などに関係なく、
だれもが一票を投ずることができるという
普通選挙を勝ち取るまでの歴史を考えれば暗澹たる気持ちになる。

選挙権を勝ち取るために命を張って闘った人がいるし、
そうした人の思いに応えるのは投票に行く、
政治に参加するという前向きな姿勢にほかならない。

とはいえ、一票を投ずる候補者がいない、政党がない、
という選挙権を放棄してしまいたくなる現実も存在する。


愛媛県松山市の選挙管理委員会から今年の11月16日、
愛媛大生と松山大生5人が「選挙コンセルジュ」に任命された。

選挙コンセルジュ…なにそれ?と思った方も多いだろう。

若者が選挙に関心をもち、投票を促すのが選挙コンセルジュで、
彼らはソーシャル・ネットワーク・サービスで投票を呼びかけたり、
投票日に時間が取れない学生のためにキャンパス内に
期日前投票所を設けたりといった活動を行った。


さらに、選挙への関心を高める取り組みについて調べてみると、
「未来は僕らの手の中プロジェクト」というのが見つかった。

このプロジェクトでは投票に行ったことを証明する投票済証を持参すると、
指定されたお店などで割引などのサービスが受けられたり、
登録されているバンドの演奏を無料で聴くことができる。

なんとか投票率を上げようという気持ちはわかるが、
投票した人に特典を付けるといった手法しかないのだろうか。


苦労して手に入れたものは、その人にとってずっと大事だが、
生まれた時から与えられていたものの大切さには気づかないことが多い。

http://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisei/senkyo/senkyoconcierge.html
選挙コンセルジュ

2014年12月16日火曜日

つながってこそ雁木

新潟県上越市の越後高田も、今は雪が降り続いていることだろう。
街道沿いの町人まちでは、家々の庇を伸ばした雁木通りが目を引く。

雁木は大雪から守るだけではなく、雨風や強い陽射しも防いでくれる。
越後高田の雁木通りは16kmほどに及び、
趣きのある町家にうまくとけこんで江戸情緒を醸し出している。

町家は道路に面して並んでいて、トオリニワと呼ばれる細長い土間が、
表の雁木から裏の畑まで貫通している。
トオリニワに沿ってミヤ、チャノマ、ザシキなどが並んでいて、
途中に吹き抜けがあるなど、まるで芝居小屋のような空間である。


また、雁木について言えばホームページに次のような一文があった。

「雁木とアーケードは違います。雁木は個々の家人が私有地を市民に
 提供しているものです。思いやりがこもっております。
 雁木と歩道は違います。雁木は家と道路のあいだの緩衝(クッション)の
 役目を持っています。歩道は通行の手段ですが、
 雁木はさまざまなコミュニケーションの場です。」

思いやりのこもる雁木の下でさまざまな親睦が生まれ育っていく、
「つながってこそ雁木」なのである。

雁木をつくった先人たちへの感謝を忘れず、今に活かそうとする
土地の人々の思いが伝わってくる。


越後高田では平成18年に雁木ねっとわーくが結成され、
50人余の会員が雁木の保存と活用を全市民の運動に拡大し、
上越市への施策提言を行うために様々な活動を行っている。

雁木についての学習会やシンポジウムを開くなどの啓発活動、
マップの作成やガイドの養成などの観光活性化活動、
高田地区を拠点とするまちづくり団体との提携や情報交換など。

こうした雁木のあるまちは、新潟県内では越後高田のほかには
新潟市、長岡市、糸魚川市にあるだけで、
県外では青森県の黒石市だけだという。

雪国の暮らしを守り続け、助け合い・譲り合いの心をつないで、
雁木は今に至っている。

https://sites.google.com/site/takadagangi/home
雁木ねっとわーく

2014年12月15日月曜日

連携の翼ひろげて

NHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」の効果もあって、
ウィスキーの売上げが好調だという。

ニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝氏を描いたドラマだが、
舞台となるのは北海道の余市町である。

積丹半島の付け根に位置し、ニシン漁の主要港のひとつであり、
明治時代には日本で初めて民間の農家がリンゴの栽培に成功した
といった水産業や農業においても先駆的な事業へ取り組んだ。


このチャンスを地域おこしの起爆剤にということで、
地元の小樽商科大学の大学生が
「商大生が小樽の活性化について本気で考えるプロジェクト」
を立ち上げ、講演活動や聞き取り調査などを行っている。

それに加えて新鮮だなと思うのは、
余市町だけではなく、蒸溜所がある仙台市、ブレンドして
出荷する工場がある柏市の関連3市町が手を取り合って
まちのPRに乗り出していることだ。


名前は「We!SKY(ウイスキー)プロジェクト」。
S=仙台、K=柏、Y=余市とそれぞれの頭文字を取っている。

https://www.facebook.com/weskyproject
We!SKYプロジェクトFB

3市町のバーテンダーの交流を図ろうと、
それぞれのまちをイメージした新しいカクテルを作ったり、
ウィスキーフォーラムを開いたりして
お酒だけではなく、いわゆる人のブレンドにも力を入れている。


「ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー」というコピーが、
かつて、サッポロビールのキャンペーンに使われた。

3つの都市が北緯45度付近にあり、優秀なホップを栽培できる
絶好の気候にあるということを伝えたフレーズであるが、
We!SKYがウィスキーの聖地を想起する言葉となり、
それぞれのまちが活気づくようエールを送りたい。

地域おこしもビフォー・アフターで言えば、
アフターにどれだけ力をそそぐかで物語が記憶となり財産となる。

2014年12月13日土曜日

がんばる地方の書店大賞

あんなイベント、東京・大阪などの大都市だから開催できるんだよ、
などと実行に移す前から断念している企画がないだろうか。

予算、場所、マンパワー、コンテンツなどなど諸々はじき出して、
ウ~ン、やっぱ地方では無理だよねえといったボツ企画はゴマンとある。

予算がなければないなりに、人がいなけれがいる人数で…
などと言ってるうちに、ムリムリのダメ出しがくる。


地方なりに、それなりにの思いでキラっと輝くイベントもある。
たとえば、今月4日に発表された「第3回静岡書店大賞」だ。

本屋大賞は全国の書店員がいちばん売りたい本を、
投票によって選ぶ賞として創設され、
NPO法人本屋大賞実行委員会が運営にあたっている。


しかし、静岡書店大賞は静岡県内で営業するすべての新刊書店の
従業員全てが投票権を有し、公立図書館・学校の司書も加わり、
およそ700人の投票によって大賞を決定する静岡の書店独自の文学賞だ。

今年で3回めを数え、小説部門の大賞には、
柚木麻子さんの『本屋さんのダイアナ」』が決まった。
大賞の他に児童書の名作ロングセラー部門、映像化したい文庫部門などがある。


地方を歩くと、本屋さんのないまちが多い。
昔は学校の近くやまちの中心部に必ずと言っていいほどあった本屋さんは、
どんどん減少していく傾向にある。

ネット販売や電子書籍などの台頭によって、
文化の拠点として、情報が集積する場所としての存在意義が薄れつつある。


しかし、北海道のくすみ書店みたいに
「なぜだ!?売れない文庫フェア」とか
「本屋のオヤジのおせっかい 中学生はこれを読め!」フェアなど
面白いイベントを行っている本屋もある。

くすみ書店の話は、またいつか取り上げることにして、
静岡書店大賞は、地域全体に活気を与える好イベントだと思う。

ローカル色、といった時に、あなたはどんな色をさしますか?

http://sstaisyou.eshizuoka.jp/c55716.html
静岡書店大賞

2014年12月12日金曜日

ありのままの名前で

新商品を開発すると、商品の中身はもちろんだが、
ネーミングも斬新で、奇をてらったものにすることが多い。

ところが、昔からずっと呼んでいた名前が親しみがわき、
古さかげんが逆に新鮮に聞こえることもある。


たとえば、鹿児島の名物である「げたんは」というお菓子も、
まさに下駄の刃そのものを表しているのだが、
(下駄の刃)の(の)を鹿児島弁らしく(ん)と読ませるだけで、
なんだか、やんわりとして面白みをかもしだす。


鹿児島県のお隣の宮崎県、宮崎県日向市でブランド化が進むのが
「へべすぶり」という商品である。

ぶりが付くから魚だろうとは想像がつく。
では(へべす)とは一体何なのか。


いろいろ検索してみると、へべす=平兵衛酢だとわかった。
平兵衛酢はカボスとかスダチのような柑橘類である。

この平兵衛酢を養殖ブリのエサとして与えて育てると、
ブリ特有の臭みが少なく、変色や色落ちも遅いという。


そこで「へべすぶり」の名でブランド化しようという
話になったのだが、平兵衛酢の平兵衛さんが気にかかる。

昭和62年、日向市富高西川内の広場に「平兵衛酢発祥の地」と
刻んだ平兵衛翁を顕彰する碑が建った。

平兵衛翁は江戸時代天保から弘化年間にかけて、
西川内地区に実在した人物で、平兵衛酢育ての親なのだ。

江戸、明治、大正、昭和と平兵衛酢は地元および近郷のみで
育てられ、愛用されてきた。


歴代の日向市長は商品力の高さに注目し、
なんとか日向の特産品として広く普及するよう振興策を図った。

一時期「サンズ」と名を変え、新たな普及拡販が進められたが、
へべすがなじみやすいとの地元の声を受けて、
平成元年再び「平兵衛酢」の名に戻した。

そして、今回のブリとのマッチングによって平兵衛酢は、
さらに大きく羽ばたこうとしている。

柑橘の王様へべさんが、漁業の神様えべすさんと交わって
どんなフルーティな味になったのか食してみたい。

http://www.miyazaki-katugyo.com/hebesuburi.html
へべすぶり

2014年12月11日木曜日

大切なタカラが、大きなチカラへ。

一度やってみたいけれど、いきなりはちょっと怖い。
やっぱり、最初はイロハを教えてくれる人がいれば…
と思ったことはないだろうか。

ロッククライミングというスポーツもまさにその一つで、
インストラクターなしに始めたという人は数少ないのでは?

実際の山肌ではなく、人工的なクライミングウォールだって、
いきなりとなると二の足を踏んでしまう。


こうしたスポーツ分野でも、総務省が派遣する
「地域おこし協力隊」のメンバーが活躍している。

茨城県の大子町は福島県と栃木県に接した県北にある。
大子と書いて(だいご)と読む。

この町にクライミング元ジュニア代表だった前橋市出身の
長谷川美鈴さんが地域おこし協力隊員としてやって来た。

今年4月のことである。


人工壁は2012年12月に完成し、クライミング指導員を養成したが、
うまくいかず県の山岳連盟の方々が運営にあたっていた。

そこに小学5年生の時からクライミングを始めたという
長谷川さんが指導することになり、ベストマッチングとなった。

さっそく長谷川さんを中心に組織が活性化し、
小中学生でつくる大子山岳会ジュニアクラブの会員は27名となった。
その中には那珂市や福島県矢祭町からの参加者もいる。


大子町は年少人口10%以下、高齢者人口35%以上と
茨城県内で最も少子高齢化の進む地域である。

そうした少子化が進む地域ではチームスポーツの練習が難しいが、
個人スポーツであるクライミングへは気軽に参加できる。

また、茨城県は5年後に国体が開催されることになっていて、
大子町から出場する選手の育成という目標も生まれた。


サッカーや野球に代表されるように、スポーツのチカラは大きい。
いろんな分野で頂上をめざす子どもが増えることは、
まちにとってもかけがえのない大切なタカラである。

http://ameblo.jp/ibakiratv/entry-11871627776.html
大子町【地域おこし協力隊】

2014年12月10日水曜日

あんこうの旬、到来。

本土最北端にある青森県大間町はまぐろの一本釣りが有名だ。
その大間から下北半島を南東へ下ると風間浦村がある。

風間浦村はお湯(温泉)と海の幸を活かした「ゆかい村」として、
地元の若い人を中心に活性化に取り組んでいる。

年末年始によく放映される大間のまぐろも美味しいにちがいないが、
風間浦村はややディープな味わいのあんこうの産地であり、
漁獲量は県内一の八戸市に次ぐ2位で88トンにのぼる。


あんこうといえば、吊るし切り、あんこう鍋、あん肝などを連想し、
グルメならずとも食指が動いてしまう。

地元の旅館では刺し身もメニューとして提供され人気を博している。
さらに、今のような旬の時季には、定番の鍋料理や煮こごり、
から揚げ、肝と身をミソであえた「ともあえ」なども出てくる。


村ではあんこうのブランド化をめざして、漁業者や商工業者が
一体となって統一ロゴを作り「風間浦村鮟鱇まつり」を行っている。

さらに、今年11月には第27回「食」と「漁」を考える地域シンポジウム
風間浦鮟鱇のブランド化と「ゆかい村」観光
水産資源を生かした観光地域づくりというイベントを開催した。

イベントの内容を見てみると、小漁村での先進事例の紹介、
東京のあんこう料理老舗専務による風間浦村あんこうの魅力、
「湯と食」のおもてなし観光の魅力づくりなどをテーマに、
リレートークやパネルディスカッションなどが行われた。


あんこうというブランド化された商品があっても、
料理やおもてなしが伴っていなければお客様は来てくれない。

そのあたりは百も承知で、もてなす側の教育を徹底し、
先般行われた青森県旅館ホテル生活衛生同業組合主催の
「スマイルマスター選定キャンペーン」において、
ここ下風呂温泉の【ホテルニュー下風呂】が
優秀スマイルマスターに選ばれた。


人口2200人ほどの小さな村だが、港の活気と下風呂温泉郷の湯の香、
そして、あんこうのなんとも言えない風雅な滋味がただよってくる。

風間浦村の冬の風物詩と定着した「風間浦鮟鱇まつり」は
本日12月10日から開催される。

http://blendboard.jp/organization/page/21050
風間浦村鮟鱇まつり

2014年12月9日火曜日

おもてなしの深さ

人様の家でコーヒーを出されたとする。
ふつうは、ありがとうございますと言っていただく。

でも、あなたがコーヒー大嫌いだったらどうだろう。
相手は親切心で淹れてくれたし、
嫌いでも無理して飲むか、ていねいに断るか…


ぶらっと観光地に出かけたとする。
初めての土地だからガイドでもお願いしようかな。
最近はボランティアガイドさんも多いし頼んでみるか。

そうやってガイドさんを紹介され、いざ観光へ!
「このお城は室町時代の中頃に築かれた典型的な山城の
 おもかげをとどめておりまして、藩主●●公の時に
 大火事で天守閣が焼けおちてしまい…」
と歴史の案内から始まった。

「そうなんですかあ~」「へえ~」「すごい~」などと、
最初はガイドさんの流暢な説明に感心していたが、
さすがに歴史もんばかりで、話がかなりマニアックになり、
「へえ~」も出なくなった、などということがないだろうか。


石川県金沢市のボランティアガイドは、ガイドさんならぬ
「まいどさん」の名で呼ばれている。

まいどさん歴11年の武野一雄さんは、
ガイドするお客さまの出身地や興味を聞いてから、
この方にとってベストな観光ルートとガイドを素早く組み立てる。

スタンダードではなく、カスタマイズするのである。


自分の知識やうんちくをひけらかさない、押し付けない。
お客さまからの質問に答えられないときは
「ごめん、わからんわ」と素直に謝る。

しかも、質問の答えを知りたさそうだったお客さまには、
後で調べて得意の絵手紙で答えを送るという心憎い配慮がある。

そうなんですね。サービスは決して画一的なものではなく百人百様。
こういうのを、お・も・て・な・し というのである。


金沢には平成6年にボランティア養成のための学校として
「社団法人金沢ボランティア大学校」が設立されている。

全国に先駆けて開設され、文化、歴史遺産など8つのコースがある。
観光コースなどは35名の定員枠がすぐに埋まるほど人気が高い。

https://www.facebook.com/pages/%E9%87%91%E6%B2%A2%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E6%A0%A1/392558474090199
社団法人金沢ボランティア大学校FB

その土地をどれだけ知っているかより、
まちや人をどれだけ愛せるかが、おもてなしの深さになる。

2014年12月8日月曜日

ユニークな着眼点

これはあくまで観賞用だっと思っていたものが食用になる。

植物の中で、根や茎や葉や実を食べても
ほとんどの花は食べないものが多いのではないだろうか。


ほおずきもまた、お墓に供える花くらいの認識しかなく、
調理のしようでは食物になると聞いた時は驚いた。

ほおずきの食用栽培と販売に力を入れているのが
岩手県下閉伊郡岩泉町にある早野商店である。

早野商店では10年ほど前から食用ほおずき事業に取組み、
今では岩手県内だけでも15組ほどの契約農家を持つに至っている。


食用ほおずきはミニトマトみたいな果実で、
芳醇な香りと甘酢っぱさが特徴で、
フランスでは付け合せやスイーツの材料に使われるという。

年間に2トンくらいを生産し、生食用は2~3割で、
残りはジャム、コンポート、スイーツソースなどに加工される。


早野商店の社長早野崇氏は元日本開発銀行の行員で、
仕事がら日本全国をまわり地方のありようをつぶさに見てきた。

その経験を活かし、地元の産業活性化にほおずきが使えないかと
銀行員を辞めてほおずき事業に打って出た。

まだ、食用ほおずきという知名度が低い、
生産も販売体制もなく一からのスタートであった。


食の世界は1社だけで市場に打って出るよりも、
他社との連携で付加価値を高めていくことができるとの思いから、
パンやお菓子などのメーカーとのコラボを進めている。

デパートでの試食販売やジャム博などイベントへの出展など
積極的な営業を展開中である。


早野商店のホームページを見ると、
こうした食用ほおずきに関するコンテンツと、
『おとりよせ王子(単行本)』という通販本の紹介がある。

この通販本が他と異なるのは一般的な記事と写真による紹介ではなく、
全ページコミック仕立てである。

全国の逸品を集めて、それをストレートな紹介ではなく
ストーリーを付けたコミックにしてあって、
コミックを楽しみながら、思わず商品が欲しくなるという仕掛けだ。


食用ほおずきといい、このコミックスタイルの通販本といい、
着眼点が実にユニークである。

http://i-hayano.jp/topics/index.html
早野商店

2014年12月6日土曜日

まちは、人がつくる。

工場の煙突から出る黒煙が洗濯物を汚し、窓も開けられない。

今から70年ほど前、工業力をメインにした戦後復興の陰には
こうした苦悩や苦痛に身を置かざるを得ない現実があった。


山口県宇部市はばいじん汚染がひどく、
1949年に反ばいじんの動議が議会に出され、満場一致で可決。

さっそく汚染の実体、そして市民の健康についても調査が始まった。
1951年の調査結果では、ひと月に降るばいじんの量は1平方キロあたり
55,86トンで、世界一灰が降るまちと報じられた。


その5年後に宇部興産㈱の副社長中安閑一氏がばいじん対策を提言し、
社内では”ダスト イズ マネー”の合言葉のもと
ばいじんのリサイクルを行い「宇部ホゾランセメント」を開発した。

このセメントは凝結力や耐水性が高く、ダムや海底工事に使われ、
10年で15億円を稼ぐヒット商品となった。

この利益はばいえんを集める集じん装置設置の資金にまわされた。


黒煙を吐き出す工場には電気集じん装置や遠心力集じん装置が付けられ
1961年の調査では16トンと3分の1以下に減った。

見上げれば青空がひろがり、地上には植樹された緑が輝いていた。

石炭から石油へ燃料が変わった際には、亜硫酸ガスの対策に取組み、
まちを花で埋めようと美化活動がさらに徹底されていく。

こうした一連の活動は「宇部方式」と呼ばれ、国際的な評価も高く、
環境の保護・改善に功績のあった個人または団体を表彰する
国連環境計画のグローバル500賞を受賞した。


公害対策と美化運動を進めていく中、
1958年に宇部駅前に『ゆあみする女』という彫刻作品が登場した。

この一体の像に、まちを美しくと願った市民一人ひとりの思いが重なり、
2年に1度の野外彫刻展「UBEビエンナーレ」が開催されることになる。

同展は25回、50年の長きにわたって続けられていて、
宇部市の精神的支柱でもあり観光の目玉ともなっている。

まちは、住む人によってつくられていくのである。

http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20141127/ecn1411270830006-n1.htm
公害対策で彫刻展50年

2014年12月5日金曜日

オイがつくってやるけん

軽car(カルカー)と聞いて、何を想像するだろうか?
軽い車だから、軽自動車のことかなと思う方がほどんどであろう。

軽carは車にはちがいないが、人力で荷物を運ぶリアカーである。
リアカーといえば鋼鉄製で重く、女性や子どもでは使いこなすのに難儀する。

ところが、軽carは13㎏と軽く、車体はシンプルで、
20インチのノーパンクタイヤが装着されている。
実際に使ったおばちゃんが「軽かもんですから…」と開口一番口にした。


この軽carを開発したのは長崎県南島原市にある中村輪業の中村耕一社長。
中村社長は工業系の大学を卒業し自動車ディラーのメカニックとして
働いていたが、実家の自転車店を継ぐために帰郷。

しかし、過疎と高齢化が進む故郷では自転車店の将来像が描けず廃業。
廃業後、再度会社への就職をめざして試験を受けるが不採用の連続。


落胆しながら目の前の海をぼ~っと眺めていたある日。
知り合いのおばあちゃんがゴミ袋を積んだ一輪車を押しているが、
ヨタヨタして危なっかしい。

リヤカーで運べばと声をかけたところ、「リヤカーは重たい」との返事、
そこで中村社長の技術屋魂がそう言わせたのか「オイがつくってやるけん」。

その日からリヤカーの構造や鋼材について猛勉強し、何百回も失敗し、
専門家に教えを乞うなどして試作に明け暮れ、ようやく完成した。

おばあちゃんのもとに試作品を届け、実際に使ってもらうと
「軽か~」と、すっかり気に入ってくれた。


ヨシ!軽carでいこうと販売に乗り出すが、何のツテもない。
中村社長は軽トラに軽carを積んで朝の6時から夜中の3時頃まで、
日曜も祭日もなく、あてもなく長崎県内を回ったという。

昼間は畑や港で農産物や魚を運んでいる人たちに軽carを見てもらい、
夕方くらいから飲食店をまわり、お店にチラシを貼らせてもらった。

そして極めつけは長崎ランタンフェスティバル。
冬の長崎の街を彩る祭りの会場を、軽carに3人の子供を乗せて引いた。


そうした努力が実って、半年くらいして第一号を受注することになる。
その後、大手運送会社からの大口発注などもあり軌道に乗ったかに思えたが、
東日本大震災によって注文がキャンセルされ会社存続の危機が訪れる。

しかし、苦境に立った時も中村社長は被災地へ30台の軽carを寄贈する。
発注をキャンセルした取引先を責めるのではなく、自分の経営の甘さを痛感し、
ひとまわりも、ふたまわりも成長して現在に至っている。

開発・生産の拠点はあくまでも地元、決してブレない信念を持って、
軽carは軽やかに、力強く、大地を踏みしめて明日へと進んでいく。

http://nakamuraringyo.com/
株式会社 中村輪業

2014年12月4日木曜日

面白さは味付けに過ぎない。

手ぬぐいを頭に巻いて長靴をはき、
作業着姿で大地に汗を流す若者の姿は、魅力的で頼もしい。

グループの名前は「トラ男」。トラクターと男前を掛けあわせた。
トラ男は秋田県の県北の若手農家などでつくる活性化組織だ。

http://www.torao.jp/
トラ男


トラ男の仕掛け人である北秋田市出身の武田昌大さんは、
どんどん進む農家の高齢化と、いつまでも上がらない所得の低さに
ショックを受け、3ヶ月かけて県内の農家100人を訪ねたという。

(きつい、汚い、カッコ悪い、臭い、稼げない、結婚出来ない)=6Kから

↑そんなイメージでとらえられている農業を、変えたい!↓

「夢が持てる」「やりがいがある」「嫁がやってくる」=3Yへ

武田さんは、ウェブサイトを通じて生産者と消費者が
直接つながる仕組みづくりを構想し若い後継者に訴えていく。

そして、燃える愛菜家・澤藤匠さん、金色の山男・鈴木豊さん、
水田の貴公子・小林岳央さんが加わってトラ男を結成した。


武田さんの得意分野であるITの技術を使って
メンバーの人となりを紹介したり、どんな場所で、どんな方法で
どのようにお米を作っているのかを紹介する。

匠さんのクロスリバーサイド農法、豊さんの1000フィート千枚田農法、
岳央さんの八千年ミネラルウォーター農法など、
三人三様の米づくりの手法がユニークである。


ウェブサイトでの販売はもちろん、首都圏での販促イベントの開催、
田植えや稲刈りツアーの実施など地道な活動にも力をそそいでいる。


「面白さ」は振り向いてもらうための“味付け”であり、
「面白さ」ありきで“本質”が欠けた取り組みでは意味がありません。

ゲームプランナーをめざしていたという武田さんは、こう語っている。

2014年12月3日水曜日

スマホ・携帯電話を巡拝帳に

お遍路さんで知られる四国八十八霊場巡礼の旅みたいに、
聖地を訪ねて行くものは根強い人気がある。

人生とはしょせん旅であり、
巡礼の中で生きていくための何かを得ようということなのか?


国引き神話とか八岐の大蛇など多くの神話が残る出雲でも
霊場めぐりをすることができる。

鳥取と島根県にある20の神社仏閣が宗派を超えて、
「ご縁を尊ぶ心」や「和の心」の大切さを発信しようと
出雲の国「社寺縁座の会」をつくり巡拝ルートを設けた。


巡拝ルートは∞(無限大)マークみたいな
横にした8の字の上に20の社寺が点在している。

一番霊場の出雲大社から二十番霊場の日御碕神社まで、
社寺に参ると参拝の証である朱印と護縁珠を授かる。

巡拝のモデルコースも紹介されているが、
だいたい2泊3日で全霊場をまわることができるようだ。

http://www.shinbutsu.jp/
出雲国神仏霊場を巡る旅

おもしろいことに、ここには「デジタル護縁珠」なるものがある。
これは、スマホや携帯電話が巡拝帳になるという代物だ。。

巡拝登録をして、それぞれの社寺でデジタル護縁珠を
集めていくというポケモンみたいなゲーム感覚のグッズだ。
1500円の巡拝絵馬を授かった方は、
より神々しいプレミアム版へアップグレード可能だとか。

わりとご高齢の参拝者が、やおら携帯電話を取り出し、
寺社の前で画面に夢中になっている姿を想像するだけでおかしい。

2014年12月2日火曜日

軌跡と奇跡

なにかをやらないと、奇跡なんて生まれない。
そんなことを考えさせられるのが、
「これぞ小清水!! 実行委員会」に関する活性化の話である。


オホーツク海へちょこんと突き出た知床岬の根っこの方に、
人口5000人ほどの小清水町がある。

基幹産業は農業で、小麦、じゃがいも、ビートなどである。
それぞれ品質は優れているのだが、これといった名物がない。


そこで、未来を担う子どもたちに何か郷土自慢を作りたい!
という思いで町内の熱い人が集まって「これぞ小清水!実行委員会」を設立。
2011年1月のことである。

翌月には地産地消を基本としたイベント「小清水屋台村」を開催し、
地元に馴染みのある澱粉と金時豆で作る「でんぷん団子」を名産品にする企画や、
子どもたちのために大きな雪の滑り台を作った。

イベントを通して地域の人々が喜ぶ姿見て、さらに盛り上がり、
ギネス記録となるような世界一大きいでんぷん団子をめざす。


そして翌年の小清水屋台村で、縦2.55m×横1.25m×厚さ3cm総重量155㎏の
巨大でんぷんだんごを作り、後日ギネス記録に認定された。


ギネスへの申請に関しても、申請費用の問題、英語での対応
などなどメンバーの中で議論を尽くしたことは言うまでもない。


この世界一大きなでんぷん団子のギネス挑戦の話を偶然耳にした人がいた。
九州博多の辛明太子製造、食品卸売りの老舗 山口油屋福太郎の山口社長である。

山口社長は自社で扱っているせんべいの原材料であるでんぷんの確保が困難で、
入手先を探していたところだった。

そこで北の生産者と南の製造・販売業者がマッチングして、
小清水町の閉校予定だった小学校が明太子せんべい「めんべい」工場に変身した。


ギネスに挑戦という、地場産品を目立たせたい気持ちに、
遊び心を加えながらの活動が、大きな奇跡を生み出したのである。

https://www.facebook.com/Korezokoshimizudayone/timeline
これぞ小清水!! 実行委員会FB

2014年12月1日月曜日

6年先を見据えて

とんでもない勘違いであった。
世界の人口は、ずっと48億人と記憶していた。

調べてみると、なんと72億2000数百万人もいた。(2014.12.1現在)
その中でイスラム教徒がだいたい16億人ほどで20数%にあたる。

イスラム教徒(ムスリム)は動物由来の乳化剤、ゼラチンが入った品などは
食していけないなどの厳しい決まりがある。

肉類などはイスラムの教義にのっとった処理を証明する「ハラル」認証が必要だ。

このハラル認証を受けていないために、イスラム圏へ輸出できない、
あるいは日本へ観光にやってきたムスリムに食を提供できないことが多い。

そこで、ハラル認証をいち早く受けて、ムスリム市場に先鞭をつけようというのが
熊本市であり、ハラル認証へ向けて官民一体となった取組みを展開している。

今年4月に熊本市はハラル産業開発公社とハラルに関する協定を結んだ。
ハラル産業開発公社とはマレーシア政府のハラル関係機関である。

http://halaljapan.jp/halalnews140404-1880.html
ハラルに関する協定締結

全国の自治体で協定を結んだのは熊本市が初めてである。


そして、11月26日。ムスリムの声を観光にということで
市内在住のムスリムに観光スポットを巡ってもらうモニターツアーを実施。

おみやげに関しては成分表示などがきちんとんなされているか、
食事施設や宿泊施設の受け入れ体制は万全かなどなどムスリムの目で
一つ一つチェックし、意見感想を述べ、改善点などが指摘された。

日本の国内市場が飽和気味なので、イスラム圏への輸出を試みる。
6年後の東京オリンピックは多くのムスリムが来日し
観光を楽しむにちがいない。

そうした先を見据えたムスリム対応であり、官が旗を振るのも好ましい。
あとは民間の努力と、もう一歩先をいく企画力にかかっている。