「地方の時代」という言葉はなつかしい。というか、手垢がつきすぎた。 中央VS地方の図式で見られ、ほとんどが地方の負け。 あまり負け続きじゃあ面白くないだろうと、 地方創生などといったおまじないの言葉で政府が地方をなぐさめる。 でも、そんなものはどこ吹く風で、がんばっている人たちがいる。 ないならないで、知恵を出す。知恵がなければ汗を流す。 ちょっと気になる地方をウォッチしてみたいと思う。
2015年5月29日金曜日
求める声がない場所にこそデザインの力を
新しい商品を開発したので、多くの人に知ってもらうために広告を打ちたい。
売上不振だから、なんとか売上アップが図れるように広告を出したい。
というように、基本的に広告はスポンサーの要求があってスタートする。
求められれば、広告代理店なりデザイナーさんなり、その道の人が制作にあたる。
当然、そこには報酬が発生し、作成した広告の効果が高ければスポンサーは喜ぶし、
再度広告の依頼が舞い込むかもしれない。
ところが、スポンサーから頼まれもしないのに、いきなり押しかけていって、
そこのお店の商品やサービスに関するポスターを勝手に作っちゃう。
勝手にやったことだから、制作料は一切求めない。
それが、鹿児島県内の第一線でがんばっているグラフィックデザイーナーが仕掛ける
odk(OSHIKAKEデザインかごしま)である。
名前がそのものズバリで、一瞬ドキッとするが、行っていることは実にすばらしい。
毎年、odkのターゲットとなる場所が決まるが、今年は北薩さつま町の温泉だった。
さつま町内の24の温泉を、1温泉1人のデザイナーが担当しB2サイズのポスターを作る。
できあがったポスターを温泉のオーナーへ手渡すセレモニーが今月23日にあった。
手渡されるまで、温泉のオーナーはどんなポスターなのか全然見ていないが、
デザイナーの渾身の作品に、オーナーさんのほとんどがゆるみっぱなし…
「求める声がない場所にこそデザインの力を」
というコンセプトは素敵である。
http://news.ktstv.net/e56833.html
odkに関するニュース
2015年5月28日木曜日
黒の使い方
黒といえば喪や褻(け)のイメージがあって、あまり大胆に使われることが少なかった。
しかし、今は黒のもつ重厚感や、金や赤との組み合わせで高級感を演出したりする。
食べものも黒牛、黒豚、黒麹などクロのつくものが人気だったりする。
栃木県宇都宮市のレストランのシェフが2年前に黒麺なるものを開発した。
黒麺は深煎り焙煎ばいせんした玄米粉をふんだんに使った麺で、
もちもちとした食感と香ばしいかおりが特長である。
食べたことはないのだが、パスタでもなくラーメンでもない独特の風味があるという。
この黒麺が都内の高級料亭や和食居酒屋などから引き合いがあり人気上昇の気配。
黒麺開発のきっかけは、幼い頃にシェフの祖母が食べさせてくれた玄米そば。
深煎り玄米粉の素朴なかおりがなつかしく、おばあちゃんの味を復活させた。
おいしさに国境はなく、アメリカの高級和食店からもオファーがあったとか。
http://www.yomiuri.co.jp/otona/drink/dnews/20150504-OYT8T50011.html
玄米粉使用「黒麺」、国内外で好評
2015年5月27日水曜日
管理職全員でイクボス宣言
なにかと最近は、言葉を縮めてしまう傾向にある。
聞き慣れたかなあと思う頃は新しい言葉になっていたり、死語となったものも多い。
「KY」なんて言葉もだいぶ前にはやったが、今どきKYを使っているのを聞いたことがない。
さて、「イクボス」なることばがネットにかかってきた。
これは福岡県の北九州市の全管理職615人が育児参加などを積極的に支援・評価する
「イクボス」宣言をしたという記事だった。
管理職だから多くの人は育児が終わっているだろうから、
育児や子育てに励む部下に対して、効率的な仕事環境を整えるという役割らしい。
イクボス宣言は10ヵ条からなり、第2条には部下がプライベートの時間が取りやすいよう
会議の短縮などを進めているとうたっている。
こうしたことは上司やトップの理解が第一であるから、全国に先駆けて
管理職全員で宣言したというのは、なかなか気合が入っている。
ボスという言葉は、日本だとギャングの親分的なニュアンスを感じるが、
アメリカではそうしたアウトロー的なイメージはないらしい。
逆に上司という言葉がいかにもお役所的で、ここはイクボスで頑張って欲しい。
http://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h26/zentai/html/column/clm_02.html
イクメンからイクボスへのひろがり
2015年5月26日火曜日
二軍戦と一軍戦を楽しむ
プロ野球は今日から交流戦がスタートする。
ふだんは同一リーグ内のチームと戦っているが、戦略や戦術も変わってくるであろう。
こうしたプロ球団は、もちろん親会社が事業計画を練った上で運営を行っている。
ファンサービスはもちろんのこと、いかに球場へ足を運んでもらうかに頭をひねる。
北海道日本ハムファイターズが旅行業に参入し、独自の観戦ツアーを企画している。
旅行業を手がけるのは当然のことながら許可が必要だが、
日ハムは今年2月に旅行業法に基づく第二種旅行業者に登録しクリアしている。
では、どんな新規ツアーかというと、6月27日、28日の札幌発千葉、埼玉ツアーでは、
初日は千葉の鎌ヶ谷スタジアムで二軍の試合を観戦し、
2日めは埼玉の西武プリンスドームでライオンズとの一軍戦を楽しむというもの。
二軍の試合はそんなに見る機会がないし、ファンなら二軍で頑張っている選手にも
エールを送りたいにちがいない。
一般のツアーにしても、あるイベントの完成形だけを見て楽しむのではなく、
完成に行き着く過程をツアーに盛り込むのもありかと思う。
http://mainichi.jp/sports/news/20150511k0000m050109000c.html
独自ツアーでファン開拓へ
2015年5月25日月曜日
蓮の花をめで、蓮そばを味わう
そろそろうっとおしい梅雨の季節となるが、雨の中に凛と咲く花は元気をくれる。
蓮の花もそのひとつで、薄紫の大きな花がポコンと咲く姿はほほえましい。
蓮根と書くように、蓮の根はシャキシャキとネバネバ感が同居するレンコンである。
こちらも、なかなかの味覚で心を満たしてくれる。
では、蓮の花を目で楽しみながら、レンコンで舌を満たすというのはいかがなものか、
ということで、三重県津市の飲食店運営会社と四日市市の製麺会社がコラボして、
レンコンを使った「蓮そば」を考案した。
粉末加工したレンコンをそば粉と練り上げたモチモチした食感が特徴の蓮そばは、
カツオと昆布で取っただしで、あっさりした味付けになっている。
この蓮そばを出すのは真宗高田派本山専修寺境内にある高田会館の中にある
「お食事処あかり」である。
専修寺では2005年頃から蓮の花の再現に取組み、
今では池一面に蓮の花が咲き観光客も上昇傾向にある。
また、地域住民も蓮の花を植え、蓮の町をアピールしようと一生懸命だ。
そうした中での蓮を使った寺内町のまちおこしというのがおもしろい。
http://www.yomiuri.co.jp/local/mie/news/20150520-OYTNT50120.html
蓮そば
2015年5月23日土曜日
道路にニックネームを
国道●号線、県道●号線といっても、いつも通っている人たちはわかるけれど、
初めて来た人は、その道がどこからどこへつながっているのか見当もつかない。
まるで日本庭園のようにきれいに手入れされた茶畑の中を走る道であれば、
香りの道とかフレーバーロードとかふさわいい愛称があってもいい。
●号線ではあまりに事務的で無機的である。
そこで、静岡県伊豆の国市では市民や観光客に対するイメージアップをめざし、
市内を走る道路10本に歴史や風物にちなんだ愛称をつけた。
韮山反射炉近くの道には「反射炉カノンロード」「反射炉・富士見ロード」が生まれた。
反射炉の生みの親である江川坦庵の居宅近くには「坦庵公思索の道」がある。
また、いちごの産地を走る道には「いちご街道」、
さらに長嶋茂雄氏が練習に励んだ道は「読売巨人軍長嶋茂雄氏ランニングロード」など。
あまり増えすぎるとなにがなんだかわからなくなるので、
旅行客がふと足を止めたくなる適度な好奇心をそそるものがいい。
https://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/tosikei/douroaisyou.html
伊豆の国市の道路の愛称
2015年5月22日金曜日
お米甲子園
野球やダンスなど、いろんな冠をつけた甲子園がある。
なにかの分野で日本一をめざすコンテストだが、お米に関する記事を読んだ。
石川県の七尾東雲高校の農業を学ぶ生徒10人もお米甲子園にエントリーしていて、
先日は七尾市八田町の棚田で田植え作業を行った。
日本一になるために、苗は種もみから育て、水や温度管理にも気を配る。
無農薬で栽培し、雑草などは生徒たちが手でひとつひとつ取り除く。
七尾東雲高校の場合は、植える田んぼが棚田だけに手間ひまかかることだろう。
地元農家も協力はするものの、グランドに立つのはあくまでも高校生である。
地元営農組合も、過疎が進む地域で若い人が農作業に汗を流し、
あわよくば日本一になって地場米を全国にアピールしてと熱いエールを送っている。
http://www.syokuken.jp/koshien/
お米甲子園
2015年5月21日木曜日
手作り討論番組
テレビ朝日系列で放映されている「朝まで生テレビ!」は1987年にスタートしている。
かれこれ30年ほどという、いわば長寿番組である。
週末とはいえ、なかなか朝までずっと見ていた記憶はあまりない。
あれだけの論客が揃えば、あれだけの時間をとって討論しないことには尻切れトンボになる。
市民レベルでもあのような討論の場を設けようと、栃木県の大田原市では、
インターネット放送「夜ふかしノート」という手作りの討論番組を流している。
市の名物のような身近な話題から放射能といった問題まで幅広いテーマを設定し、
毎回いろんな市民が参加して討論を行っている。
会場もスタジオではなく市内の飲食店で行うなど、気軽に気さくにというスタイルだ。
舌鋒鋭い白熱した議論もいいが、こうした街ネタや井戸端会議的な話に、
オヤッと思うことが見つかることも多い。
ユーストリームなどを使えば、携帯電話一台でライブ中継ができる。
アイデア次第でいろんな番組ができそうだ。
https://www.facebook.com/townmediaootawara
参加型地域メディア
2015年5月20日水曜日
チャリで湖を盛り上げる
琵琶湖といえば位置といい、だいたいの大きさや形などを頭の中でイメージできる。
しかし、浜名湖と聞いても、どんな形なのか、どれだけの大きさなのか見当もつかない。
どちらかというと、浜名湖=うなぎという連想が働く。
実際、浜名湖は静岡県の浜松市と湖西市の間にあり、
形は言葉で説明するのがむずかしく、真ん中がつながりそうになっていて周囲は約80km。
諏訪湖もそうであったが、浜名湖振興の目玉として期待されているのがサイクリングである。
「浜名湖サイクルツーリズム推進会議」が設立され、キャッチフレーズはハマイチだ。
ハマイチとは、自転車で浜名湖を一周することを指す。
自転車はエコという時代の流れと、自転車漫画「弱虫ペダル」が人気で
サイクリングに興味を示す若者が増えている。
浜名湖外周は起伏が少なく、初心者でも湖畔を快適に走れるという魅力があり、
ここぞとばかりチャリに熱い視線が注がれている。
サイクルイベントの開催、自転車道の整備、情報発信など、これから取り組むべきことが
山積みだが、ペダルを踏むようにひとつひとつ着実に進んでいって欲しい。
20~30年ほど前は、テントを積んでサイクリングに出かける人も多かったが、
交通事情もあって、今はあまり見かけなくなった。
自動車の速度ではなく、風を切っていく快感を感じながら走ると、見える世界がちがってくる。
https://www.pref.shizuoka.jp/kensetsu/ke220/anzen/jitensha/cyclingroad/hamanako/index.html
浜名湖周遊自転車道
2015年5月19日火曜日
一度消えたものに火を灯す
麻とか亜麻とか聞くと、衣類のもとになる植物だなというくらいで、
実際にそれらが栽培されている所を見たことがないし、どんな植物かも知らない。
麻ではなく亜麻の方だが、こちらは茎の繊維がリネン(リンネル)製品になるという。
病院へ行くと「リネン室」というのがあるが、ここは病院で使われているシーツやカバー類を
保管している部屋のこと。シーツやカバーがリネンからできているからであろう。
さて、北海道江別市大麻新町(町の名前もすごい)には、
亜麻を自家栽培し、手紡ぎ体験教室を開いている女性がいる。
手紡ぎ体験教室は大麻銀座商店街の一角で始められ、すでに100人以上が受講した。
大正年間には江別市に亜麻繊維工場が操業した。
しかし、化学繊維の普及もあって昭和に入って工場は閉鎖、以後、亜麻栽培も途絶えた。
女性は直接肌に触れる植物繊維で布を一から作りたいとの思いで、
ひと握りの亜麻の種子をベランダで育て始めた。
今は180平米ほどの畑で栽培しているが、収穫し、紡いで、織り上げるという
一連の作業はすべて手仕事である。
ものごとの盛衰は世の常であるが、先人がかつて亜麻を手がけたのは、
亜麻が育つ適地であり、育て加工する人にとってなにがしかの魅力があったに他ならない。
一度消えたものに火を灯す作業は大変かもしれないが、エールを送りたい。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/sapporo/1-0132852.html
亜麻の魅力広めたい
2015年5月18日月曜日
手抜き、ずぼらレシピ
素材や作り方に徹底的にこだわったレシピが載っている料理本は多々出まわっている。
しかし、経済的なものや地方であれば材料が手に入らなかったり、
あるいは、そこまで手間ひまかけて料理を作りたくないなど手抜き、さぼりの要因は多い。
であるならば、最初からパーフェクトをめざすのではなく、お気楽なものを作ろう、
というコンセプトで編集されたレシピ集「あやぶた食堂」。
山形市在住のイラストレイター杏耶さんが出したレシピ集で、
みずからずぼらな性格という本人の手抜きアイデアが盛り込んである。
かわいいイラスト付きのレシピ集で、当初ツィッターで発信していたところ、
500人だったフォロワーが半年余りで2万2000人以上にふくらみ、書籍化が決定した。
餃子の具を大根でつつむ「大根ギョーザ」、サバ缶で作るハンバーグ「サバーグ」など、
おっ、これならできそうというレシピばかり。
パーフェクトに達しなくても、そこそこ満足できるレベルというのは、
料理だけではなく手芸や日曜大工などいろんな分野で使えそうなコンセプトである。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150430-00000031-minkei-l06.view-000
あやぶた食堂
2015年5月16日土曜日
最幸の一枚
人生でもっともハッピーだったことは何か?
試験に合格したこと、社会人になったこと、結婚したこと、子どもが生まれたこと…
人それぞれに最幸の瞬間があるが、それをどんなカタチで残すのだろう。
鳥取県の日本海側に位置する岩美町では、町内で結婚写真を撮影するカップルに、
撮影料金の一部を負担するというユニークな事業を始めた。
結婚し入籍したらお祝い金をといったものはあるが、撮影料の一部負担とはおもしろい。
撮影の際に町内の写真館や結婚式場を通じて撮影することといった条件はあるが、
なにも町内に住まないといけないとか、町出身者じゃないとといったしばりはない。
岩美町は、日本海の荒波が造った海岸線はじめ、世界ジオパークにも認定されている
美景、秀景が多く、思い出をのこす最高の舞台が豊富にある。
人生で最幸の一枚を残せば、後々この地を訪れてみたいと思うだろうし、
親族や友だちなどに撮影に関するエピソードを語ることで岩美町の名前も拡散していく。
撮影の舞台、音楽の舞台、演劇の舞台、スポーツの舞台などなど、
わが町はどんな舞台にふさわしいか考えてみるのもおもしろい。
http://www.yomiuri.co.jp/local/tottori/news/20150513-OYTNT50101.html
岩美で最幸の1枚
2015年5月15日金曜日
3KB48
AKB48ではなく3KB48である。新たなアイドルグループではない。
沖縄で開発が進められているアワセ土地区画整理事業のことだ。
沖縄県北中城村にある米軍アワセゴルフ場が返還されるに伴って、
複合商業施設、医療福祉施設、防災や健康づくりの拠点施設、アリーナや住宅などを
整備中で、新世代のリゾートモールという新たな観光拠点でもある。
むろん観光ばかりではなく、健康・環境を加え、3つの言葉の頭にKがつくこと、
敷地面積が48ヘクタールあることから3KB48というわけだ。
複合商業施設であるイオンモール沖縄ライカムは先月オープンして大にぎわいだった。
かつて中央で成功したショップが地方に直営店やフランチャイズを開店する点展開、
それがドラッグストア、飲食、衣料品などを束ねたモールと称す面展開、
そして今度は商業に医療や福祉や住宅などの産業を巻き込んでの複合的な展開。
地方の個店や地域に根ざした福祉や医療施設を利用している人を
根こそぎ刈り取ってしまえみたいに見えなくもない。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-242223-storytopic-64.html
3KB48への期待
2015年5月14日木曜日
元気米プロジェクト
動物カメラマン岩合光昭さんの家族をモデルにした「アフリカ ポレポレ」という
テレビドラマがずっと昔に放映された。
ポレポレというのは、スワヒリ語で「ゆっくり」という意味だということを知った。
そのポレポレを名前にしたポレポレ農園というのが香川県さぬき市にある。
この農園は農業体験によって引きこもりなどからの克服を支援する活動を行っていて、
今年で10年目を迎える。
節目の年に、同農園では「元気米プロジェクト」を立ち上げた。
このプロジェクトは、貧困などによって満足な食生活が送れない子どもたちに、
収穫した米を無料で届けている。
平均的な所得の半分以下の世帯で暮らす18歳未満の子どもの割合を貧困率というが、
昨年の7月時点で16,3%、日本人の6人に1人が貧困層となっている。
そうした現実をなんとか改善したいという思いで始まった元気米プロジェクトで、
ポレポレとゆっくりのんびりというわけにはいかない。
片や残食という現実があり、格差はますますひろがっていく。
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/locality/20150511000144
元気米プロジェクト
2015年5月13日水曜日
方言のチカラ
標準語で話すよりも、土地の言葉で語った方が場の雰囲気が和むことがある。
土地の人は、ふだんは方言でしゃべっているものの、お客さんとの会話や
あらたまった場での語りになると標準語で話すことが多い。
青森県五所川原市の津軽鉄道で観光情報などを発信する
津軽半島観光アテンダント推進協議会では津軽弁で乗客をもてなす取組を行っている。
所属するアテンダントは津軽鉄道に乗車して、沿線の案内を津軽弁を交えて行うのだが、
あまりに多用すると乗客からわからないと言われ、少ないともっと津軽弁を
という注文がつく。
お客様によって、どの程度方言を盛り込むかむずかしいところではあるが、
注目したいのは方言のチカラである。
方言でもかなり通じていないとわからないもの、なんとなく言葉の前後からわかるもの、
わりと一般的に耳馴なじみのあるものなどがあり、
それが場所や人の前でいろんなカタチをとって登場する。
方言の意味や使い方に驚いたり、吹き出したり、
一つでも覚えてい帰れば、いいお土産代わりになる。
非常に高いポテンシャルをもつ方言だけに、もっと活躍の場があっていい。
http://www.yomiuri.co.jp/local/aomori/news/20150508-OYTNT50455.html
津軽弁で乗客を笑顔に
2015年5月12日火曜日
マヒマヒハンバーグ
釣りの世界では、狙っている魚以外なものが釣れたり、
フグなどの餌を取っていく魚などを外道という。
網を使った漁でも、狙った魚以外のものが網に入ってくるtこはしょっちゅうである。
市場に出せたり、家庭に持ち帰って食べられる魚ならともかく未利用魚も多い。
シイラという魚も身が薄いことから関東の市場では敬遠されがちだとか。
この未利用魚シイラをなんとか活かそうということで、千葉県勝浦市の地域おこし団体が
シイラを使ったハンバーグを開発した。
シイラは高タンパク低カロリーの魚で、ハワイではマヒマヒと呼ばれている。
そこで、できあがったハンバーグをマヒマヒハンバーグと命名して今月10日から売り出した。
この地域おこし団体は「勝浦タンタンメン(勝タン)」をヒットさせた実績があり、
マヒマヒハンバーグを第二の勝タンにしようと張り切っている。
魚類にかぎらず肉や野菜類も未利用のものはないだろうか。
加工方法や調理方法を変えるだけで、ブレイクすることもある。
http://photozou.jp/photo/show/665625/45019995
マヒマヒハンバーグ
2015年5月11日月曜日
伝統を学び、伝え、広げる。
家ができあがるまでを見ていると、いろんな人が関わり、いろんな材料を使い、
いろんな道具で仕上げていくんだなというのがわかる。
現代はユニット工法やプレカット技術などで現場よりも工場や製材所で、
すでにパーツができあがってしまうことも多い。
しかし、昔の工法に着目し伝統的な建築技術を学び、伝えていこうという人もいる。
熊本県八代市の八代建築協同組合は「やっちろ版職人塾」を始めた。
40代以上のベテラン職人が講師を務め、3ヶ月に1回位のペースで勉強を会を開く。
先月は礎石にじかに柱を建てる「足固め工法」で、木組みの模型を使って学んだ。
こうした勉強会を開くと、当然のことながら知らなかった技術の習得とともに、
その場に集った人たちの間で交流が生まれてくるのが大きい。
学び、伝え、広がっていく連鎖をいかに生み出すか。
これはなにも職人世界の話ではなく、サービス業にも必要な視点である。
https://kumanichi.com/news/local/main/20150419006.xhtml
伝統の木造技術学ぼう
2015年5月8日金曜日
ビジネス客をファンにする
観光にはプライベートの場合もあるが、ビジネスのついでにとか、合間にとかもある。
仕事が目的ではあるが、知らない土地に心がときめく。
そうしたビジネスでやってきた人向けの観光PR冊子を作ったのが八戸コンベンション協会。
思いつきで作ったのではなく、八戸の入込客の大半はビジネス客である
という事前のリサーチに基づいてのものだ。
A5判フルカラー24ページの冊子で、内容を見てみると、
「八戸での出張時間を、便利に効率的に」と、ちょっとした空き時間に仕事ができる所、
駅の近くや中心街のコーヒー店、自由に使えるいすとテーブルがある短時間作業スポット
などビジネスマンにはありがたいスポットが紹介されている。
さらに、空き時間を使っての短時間ツアー、仕事の前の朝湯、市場での朝飯、
名店や話題の店など知っておくと役立つ情報も掲載されている。
ビジネスという切り口があれば、スポーツ大会参加のための入込客もいる。
こうしたターゲットに合ったパンフやサイトの充実は訪れる人にはありがたい。
http://www.yomiuri.co.jp/local/aomori/news/20150429-OYTNT50376.html
「八戸出張 スマートに」冊子
2015年5月6日水曜日
夜をとことん楽しむ
ゴールデンウィークも終盤となりUターンされている方も多いことだろう。
せっかくの休みだから、朝から晩まで行楽地で遊んでみたいと思って出かけたが、
地方の商店街などは夜8時を過ぎると人通りがパッタリ途絶える所が多い。
ネオンやサインなどより人がワイワイガヤガヤひしめいていることが、
旅を満喫することのひとつの要素にもなる。
そこで、北陸新幹線開業でにぎわう金沢市では1日から5日まで、
金沢文芸館、室生犀星記念館、鈴木大拙館といった8つの文化施設の開館時間を
日替わりで延ばすようにした。
夜間営業し、昼間とは異なる雰囲気を楽しんでもらおうという趣向である。
さらに6月5~7日の金沢百万石まつり期間中にも夜間営業を予定しているという。
もちろん、開館するだけでなく朗読会などの特別イベントも開催する。
夜間営業となると人のやりくりとか光熱費とか課題は出てくるだろうが、
こうやって施設がまとまってやった方が効果が大きいのでは?
http://www.greecejapan.com/jp/?p=10197
ギリシャの古代遺跡・博物館の入場者数と収益が増加
2015年5月5日火曜日
トイレから「絶景かな~」
鹿児島県の北に位置する長島町は、その名の通り島で本土とは橋でつながっている。
黒之瀬戸大橋という大きな橋があり、橋の下の海面では潮が大きな渦を巻いている。
風光明媚で海産物が豊富なことから、今みたいな連休は観光客も多い。
黒之瀬戸大橋とは島の反対側になるが、長島町役場の北に針尾公園がある。
ここからの眺望はすばらしく、眼下にひろがる薩摩松島の景観には息をのむほどだ。
公園の一角に展望所ならぬ空中展望トイレなるものが、このたび完成した。
なんと男性用女性用ともに北向きの部分は全面ガラス張りで、
用を足しながら絶景を満喫できるという仕掛けである。
天気のいい日には長崎県の雲仙普賢岳が望め、眼下には伊唐大橋が横たわる。
全面ガラス張りといっても、特殊フィルムを貼ってあるので、外部から内部は見えない。
「眺望日本一のトイレ」をめざすという町の心意気が伝わってくるが、
使用時間が長くなり、行列ができるトイレになるのではなかろうか。
http://www.town.nagashima.lg.jp/nagashima07/nagashima14.asp
針尾空中展望トイレ
2015年5月4日月曜日
唐人町コラボなんて、どう?
日本は昔からアジア諸国とのつきあいがあり、とりわけ中国との交流は歴史が長い。
魏志倭人伝の卑弥呼の時代、いやもっと昔からなにがしかの交流があった。
なかでも300年近く続いた唐の時代は、飛鳥・斑鳩、平城、平安時代の日本と親しかった。
平城京、平安京という都のカタチは唐の都・長安を模してつくり
政治、文化の面で大きな影響を受けた。
遣唐使を派遣したりするが、唐からやってきた人も多く、
彼らが日本に住みついたであろうという地域は唐人屋敷とか唐人町の名で残っている。
中国に最も近い長崎県長崎市の館内町も唐人屋敷の歴史や文化が薫る地区で、
往時の様子を感じ取ってほしいとまちづくりや情報発信に力を入れている。
ここには、江戸時代の鎖国下において、およそ3万平米を塀で囲って、
中には唐人屋敷が立ち並んでいたという。
唐人屋敷の入り口となるところに高さ約9メートルの大門を築いたり、
展示場である「蔵の資料館」などが完成し、多くの人たちの訪問を待っている。
唐人町というのは、長崎県のみならずおとなりの佐賀県や福岡県にも存在する。
こうした他県の唐人町とコラボすることで、新しい魅力が増すかもしれない。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/sumai/660000/669001/p006909.html
唐人屋敷顕在化事業の取り組み
2015年5月2日土曜日
歴史を刻んだ建物の中で
佐賀県民にいちばん親しみのある百貨店といえば玉屋デパートであろう。
かつては福岡玉屋、小倉玉屋など福岡県にも店舗を構えていた。
玉屋の創業者は二代目田中丸善蔵で、九州の百貨店王と言われた人物である。
田中丸善蔵の生まれは佐賀県小城市の牛津で旧宅が残されている。
旧宅はさまざまな町内活動の場として利用されていて牛津会館の名で呼ばれている。
そこの近くに赤れんが館という時代がかった建物がある。
その名の通り赤れんがを積み上げた倉庫で、玉屋デパートが所有していた。
屋根の鬼瓦には玉屋のシンボルマークをかたどってあり窓には防火用扉が付いている。
この赤れんが館も旧宅同様地域の活性化に利用していこうと、
牛津赤れんが会という団体が組織されていろんな行事を行っている。
赤れんが館の前を通りかかるとピアノ伴奏に合わせてお母さん方の歌声が聴こえてくる。
発足して40年以上の歴史をもつ「牛津赤れんが歌おう会」の面々である。
百年以上の歴史を刻んだ建物の中で、今を生きる人たちが一生懸命何かに打ち込む。
こうしたシーンが多ければ多いほど、町も人も輝き出すのではないだろうか。
http://www4.ocn.ne.jp/~akarenga/index.html
牛津赤れんが会
2015年5月1日金曜日
わが身を犠牲にして
義俠・義士・義婦・義勇・義軍・義挙・義憤・情義…
「義」とは利害をすてて条理に従う。公共のために尽くす気持ちとある。
無償の愛とか言えばマザー・テレサみたいで共感する人も多いが、
義理人情をふりかざせば、なんとなく古~いと言われそうなところもある。
しかし、今も昔も「義」を貫く人はいて、義民などとして讃えられる。
1688年というから幕藩体制が落ち着き、浮世を謳歌する元禄年間に入った頃のこと。
松山藩筒井村の農家に作兵衛という男が生まれた。
子どもの頃から働き者で、朝から晩まで畑で一生懸命働いた。
どんなにやせた土地でも精魂こめて手入れをすれば必ず良い畑になるという信念で、
事実、彼の手にかかると荒れ地も見事な作物が実る畑となった。
ところが、亨保17年(1732)飢饉が松山藩を襲う、長雨、洪水、ウンカの発生…
米はほとんど収穫できず、餓死していく者が増え続けた。
作兵衛も妻を病気で亡くし、父親と息子は餓死していった。
作兵衛自身も衰弱がひどく、それでも病身に鞭打って畑を耕そうとするも倒れてしまう。
寝込んでいる枕元に麦俵があり、見舞う人たちがその麦を食べたらと促した。
ところが作兵衛は
「一粒の種子が来年には百粒にも千粒にもなる。これを食べたら、
来年は種子ができません。わが身を犠牲にして多くの人の命が助かるなら本望です」
義農・作兵衛をしのぶ「義農祭」は4月23日に松前町で開かれた。
http://ehime-c.esnet.ed.jp/jinken/17ginou.pdf
義農作兵衛
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