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2014年12月31日水曜日

モノよりもコトを贈る

福袋を買い求めようと前日からお店の前に並ぶ人も多い。

たしかに購入金額以上の価値のある商品が袋詰にされているので、
年の始めのご祝儀としては最高のプレゼントであろう。

でも、ブランド品かれこれモノはそこそこ持っているだろうから、
こんなものを福袋にしたらどうかと近鉄デパートは考えた。

「あべのハルカス満喫!!福袋」(2人1組30万円)。
今年オープンした日本一高い「あべのハルカス」の展望台
「ハルカス300」をバレンタインデーに貸し切るとともに、
大阪マリオット都ホテルのエグゼクティブスイート宿泊などが
セットになった福袋である。

あるいは、天王寺動物園の「動物お世話体験福袋」(2人1組、2015円)は、
動物を間近で感じられる毎年人気のアトラクションである。

どちらもペアで組んであるのが、売り手さんの巧みさでもある。
ひとりではノーでも、ふたりならイエスとなるケースは多い。

http://bg-mania.jp/2014/12/24123161.html
近鉄百貨店の福袋


考えてみれば、これまでの地域おこしの中には
こうしたモノよりもコト、さらには感動や感激といった
心の満足度を中心にした活動がたくさんあったように思う。

景勝地でもなければ、名物があるわけでもない。
それでも、その地域を訪ねれば住民みんなが笑顔で迎えてくれる。

それも愛想笑いやマニュアル化された笑顔ではなく、
ごくごく自然に生まれてくる微笑みでちょうどいい。

2015年からは、そうした心からのおもてなしの部分についても
しっかりウォッチしていきたいと思う。



☆今年11月から始めた地方応援マガジン「地方ウォッチング!」を
 ご愛読いただき誠にありがとうございます。
 来年もよろしくお願いします。良いお年をお迎えください。

2014年12月30日火曜日

見るもの聞くものすべてが

全然行ったことのない未知の場所へ旅に出たとする。

目に映る風景や建物、耳に入ってくる雑踏の音や物売りの声、
それに香りや味覚など五感でふれるものすべてが新鮮である。

その土地に長く住んでいれば、ごくふつうのできごとでも、
旅人にとっては思わずカメラを取り出したくなるほど
印象的なできごとに映ることもしばしばだ。

そうした旅人目線に立てば、なにもないとぼやいていた地域が
にわかにキラキラ輝き出すことがある。


兵庫県の多可町と西脇市全体にある風景や祭り、施設や人々まで
まるごと博物館にしてしまったのが「北はりま田園空間博物館」だ。

この地域にある有形無形の資源をサテライト(展示物)と位置づけ、
サテライトは歴史・文化・自然・人・グループ・体験などの
カテゴリー別に並んでいて430ほどの資源がある。

人・グループのカテゴリーを見ると、日本の伝統檜皮葺職人さんや
伝統的工芸品の播州毛鉤をつくる職人さんなどが登録されている。


また、ショーケース展示という月ごとの地域のオトクな情報など
トピックスを掲示するというユニークなものもある。

北はりま田園空間博物館では、北はりまファンの皆様に手作りの
ミニコミ誌「にゅーす でんくう」を毎月1日に発行している。

その中身もクイズや前月の活動内容のしっかりしたレポートなど
参加者全員が楽しんで作っている雰囲気が伝わってくる。


「~行政サービスから脱して、自ら決め、自ら行動し、
 責任を負い、その果実を手にすることができる」

同博物館の代表理事のことばである。

http://www.k-denku.com/
北はりま田園空間博物館

2014年12月29日月曜日

1000年先のふるさと

今から1000年前といえば1014年である。
その頃、日本は平安時代で藤原氏が隆盛を極め、紫式部が「源氏物語」を書いた。

そうした時代に生きた人々の中に1000年先のことを考えた人がいただろうか。
今の時代だって、5年先か10年先、よくいって100年先の予測がいいところである。

しかし地球や宇宙の歴史からすれば100年も一瞬にしか過ぎないほどの時間で、
1000年や10000年という単位で見ないと物語を描くことができない。


宮崎県都城市に特定非営利活動法人「どんぐり1000年の森をつくる会」がある。
平成8年から活動が始まっているので、18年ほどの実績がある。

その実績の一つが、どんぐり1000年の森をつくるための植樹作業である。
1年目は2000本、2年目は1000本、3年目は2000本、4年目は7500本
という具合に都城市および周辺町内の国有林に植樹を行ってきた。

植樹の数が多かったり少なかったりするのは、
「できる人が できるときに できることを」行う方式で、
ドングリを拾い、種をまき、苗を育て、山に植えているからである。


この16年間で144,400本、面積にして58,8haにもひろがった。
最初に植えたドングリの木は5~6mに成長し、美しい緑をなしている。

ドングリを植えたことで、森の沢筋には水がチョロチョロと流れて、
照葉樹の森が再生したのである。


この会の前会長鳥集忠男さんは南九州独特の杉だけで作った箱三味線・
ゴッタンの名奏者であり、民俗芸能研究家としても活躍された。

鳥集さんは2002年に亡くなられたが、
「すべての生命の原点は山であり、山から流れ出す水である」と提唱し、
この地道な活動を地域の人とともに進めてこられた。

「できる人が できるときに できることを」と決して押し付けることのない
やさしさの中から、山や水への限りない愛情がわいてくるのかもしれない。

http://www.donguri1000nen.jp/aboutus/index.html
どんぐり1000年の森をつくる会

2014年12月27日土曜日

エコでまとまる。

行ったことはないのだが、スイスのツェルマットは山岳リゾートで、
氷河急行が走るマッターホルン・ゴッタルド鉄道の終点である。

氷河急行という名前に、思わず気持ちが飛んでしまい乗ってみたくなる。
ちなみに、氷河急行は7つの谷、291の橋、91のトンネルを抜けて走り、
平均時速は約34kmという世界一遅い急行でもある。

ここでは環境保護のためにガソリン車などの排気ガスを出す車の乗り入れは
規制されていて、電気自動車や馬車が走っている。


山に囲まれたこじんまりとしたツェルマットによく似たまちが日本にある。
富山県黒部市の宇奈月温泉だ。
2つのまちの空撮写真を見比べてみると、本当によく似ている。

そこで、宇奈月温泉もチェルマットの環境への対応を見習おうと、
2009年に『でんき宇奈月プロジェクト実行委員会』を設立し、
地域住民の協力を得ながら、豊かな自然環境と共生し、
エネルギーの地産地消をめざした小水力発電などの
自然エネルギーの公共交通システム形成に向け活動を展開してきた。

ツェルマットの視察に始まり、落差20mの水を利用した小水力発電の実験、
55℃もある温泉水と湧水の温度差を利用した発電によって得られた電力を、
店舗の照明やイルミネーション、あるいは野菜栽培用の照明に利用した。

また、2010年からは電気自動車のレンタル事業も開始。
さらに低速8輪電気コミュニティビークル(愛称はEMU)が、
温泉街の1周約2.5kmを約20分かけて周回運行している。
このEMUはフラッグストップならぬハンドストップ。
乗りたい場所で手をあげて、EMUの運転手に合図をおくれば乗車できる。
運賃は無料。ルート内は乗り降りは自由にできる。

このプロジェクトの経緯をみると、
2009年3月、「建設業と地域の元気回復助成事業」の募集が行われ、
富山県内の2つの建設会社が下記の内容で応募であった。

立山町の丸新志鷹建設は小水力発電を用いた建設現場で利用可能な
非常用電源システム
 
黒部市の大高建設は水陸両用バスの導入による温泉街から宇奈月ダム湖遊覧事業
欅平から祖母谷までのワゴン車による送迎・観光ガイド事業


応募する前に丸新志鷹建設の志鷹社長が富山国際大学の上坂博亨教授に相談。
上坂教授は、ツェルマットへ電気自動車の視察に行って来たばかりで、
ツェルマットと宇奈月温泉の立地条件が非常によく似ていることに着目した。

上坂教授は2つの企業が協力して
「宇奈月温泉における小水力発電と電気自動車を核とした低炭素社会型観光まちづくり」
をテーマとした実験事業が実施できないかと提案したところからスタートしている。

産と学が描いた夢が、官が敷いたレールの上で動き始めた活性化事業の好例である。

http://www.denki-unazuki.net/index.html
でんき宇奈月プロジェクト

2014年12月26日金曜日

育てるから食べるまで

ハタハタという魚はスズキ目ワニギス亜目ハタハタ科に属するとある。

♪~秋田名物八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコと秋田音頭にも謡われ、
江戸時代以前から秋田の食卓になじみの深い魚である。

秋田県の県魚と書いてあった。県木や県花はよく聞くが、県魚とは…。

秋田県では県魚であるが、お隣りの山形県でも人気の魚だ。
そのハタハタに並々ならぬ愛情をそそいでいる山形県のNPOがある。


酒田市上安町のNPO法人「みなと研究会で」で、卵が孵化しやすいように
酒田北港に産卵床を沈めたりして保全につとめている。

産卵床を沈めた場所は通称水路と呼ばれていて、
毎年12月になると産卵のためハタハタが水路に押し寄せてくる。

「ハタハタ到来」の情報が飛び交うと釣り人がどっと繰り出し、
延長約2キロの水路は身動きができないほど埋まってしまうとか。


また、同法人では地域の小学校で総合体験学習の出前講座を開き、
子どもたちを巻き込んだかたちでの保全活動に取組んでいる。

さらに、「鰰(ハタハタ)まつり&ボランティアフェスティバル」が
同法人主催で開かれた。

フェスティバルでは世界の魚醤の味比べやハタハタの卵塊「ブリコ」を
食べる大会、海藻「アカモク」の効能を学ぶ講演などでにぎわった。

つまり、魚が育つ環境を整え、魚にふれる場をつくり、成魚として捕獲したら、
魚に感謝しながらいかに上手においしくいただくかまでを徹底して考え、
できるかぎりのことをやっていこうという姿勢が好ましい。


ちなみに、山形県の県魚は桜鱒である。
桜鱒に関しても詩や曲を公募して桜鱒の歌をつくったり、啓蒙、啓発し、
地域の人たちとの大切な財産の共有に余念がない。

http://kankyou-npo.org/index.php?FrontPage
NPOみなと研究会

2014年12月25日木曜日

東京駅を造った人の故郷

2014年12月20日、JR東日本は東京駅開業100周年を迎えた。
赤レンガの威風堂々とした建物は東京の陸の玄関にふさわしい。

先日、100年を記念したイベントが催されたが、
記念Suicaの販売をめぐって混乱が生じたのは残念だった。


同じ日に、九州は佐賀県唐津市本町の旧唐津銀行本店でも
「東京駅100祭」なるイベントが開かれた。

こちらは住民団体である「唐津赤レンガの会」が主催した。


東京駅と唐津…いったいどんな関係があるかというと、
東京駅を設計した建築家辰野金吾の故郷が唐津なのである。

辰野は唐津藩の英語学校「耐恒(たいこう)寮」で学んだ後、
東京大学工学部の前身「工学寮」を卒業した。

イギリスに留学して建築をさらに深く学んで、
帰国後、東京駅や日本銀行本店などの設計に携わった。


駅だけが際立っていてもまわりの景観が伴わなければ…
ということで同郷の後輩である建築家曽禰達蔵が
丸の内の煉瓦街を設計した。

煉瓦街はロンドンの銀行街に学んだという。
いずれにしろ、唐津出身の二人の建築家がいなければ、
全国を網羅する鉄道の起点たる東京駅は生まれなかったのである。


その2人を輩出した唐津でも顕彰しようということで、
旧唐津銀行本店で紙芝居や寸劇などが演じられた。

この旧唐津銀行本店は辰野金吾が監修し、愛弟子の田中実が設計した。
東京生まれの田中は師匠の故郷に建つ館であることを配慮し、
外壁は赤レンガ調タイルと白御影石とのコントラスト、アーチ窓など
「辰野様式」の外観を色濃く残している。


辰野金吾~曾禰達蔵~田中実という人系のつながりがあって、
イギリス~東京~唐津という土地系のつながりが生まれる。

そこに、人智と技術から生まれた時代をつなぐ創造物が横たわる。
歴史遺産も視点によって、大きなひろがりがあることを学んだ。

http://www.pref.saga.lg.jp/web/isan_19
旧唐津銀行本店

2014年12月24日水曜日

夜景に魅せられて

昼間はなにもない荒野が広がるだけだったのに、
夜のとばりが降りると、満天の星空が現れる。

あるいは、LEDはじめ人工の明かりを巧みに配置して、
ファンタジックな夜景を出現させる。

こうした夜景を観光の目玉にしているスポットも多い。


その中で三重県四日市市のコンビナート夜景クルーズ、
いわゆる「工場萌え」の経緯について見てみよう。

四日市市には東京在住の四日市出身者が定期的に集まる
「四の会」というのがある。

その四の会の会合で、会員の一人から
「高校時代は、丘の上からコンビナートを見るのが好きだった。
”工場萌え”ブームが来ているので、結構人を呼べるのではないか」
との提案があった。

あたり前のように眺めていた工場群が美しい、カッコイイ
という声がひろがっていって、四日市市の東京事務所は
観光資源としての可能性をさぐっていく。


結果、コンビナートの景観をテーマに、
平成22年シティセールス用のポスターを作成して、
コンビナート企業の四日市事業所や東京本社に配布した。
加えて、関係企業の社内報などに掲載してもらう努力をした。


地元では、観光協会、商工会議所などと連携して、
「四日市コンビナート夜景クルーズ」の開催にこぎつけた。

船の上から工場夜景を楽しむプランで、
定番の60分クルーズと充実の90分クルーズがあり、
今年で5年目になるが、すでに乗船1万人を達成している。

バレンタインデーやクリスマスにはスペシャルクルーズがあり、
両クルーズとも人気を集めている。

また、船による洋上からの眺めだけではなく、
バスやタクシーに乗って地上スポットからの夜景観賞に
市内の観光地めぐりをプラスした車によるツアーもある。

さらに、地上100Mの展望展示室うみてらす14からの
幻想的な工場夜景が気軽に楽しめる上空スポットもある。


全国の自治体は東京・大阪などに事務所やアンテナショップを置き、
たえず情報収集に努めている。

そこで暮らす地元出身者を巻き込んで、
少し距離をおいたところからふるさとの良さを見つめ直してみる。

その良さをアピールする際には、地元だけではなく、
地元に支店支社を置いている企業の本社へも売り込んでいく。

シティセールスの、まさにお手本がここにある。

http://ykyc.jp/
四日市コンビナート夜景クルーズ







2014年12月22日月曜日

再び光り輝く建物

古民家や年代がかった洋館は味わいがあって、
再開発や区画整理などで、遺すか壊すか議論が必要なところである。

移築・移転という手もあるが、やはり建物と土地は密接な関係があり、
共に刻んできた歴史をもっているので、できるかぎり移さない方がいい。


岡山県岡山市の中心市街地に位置する内山下(うちさんげ)地区には、
大正期に建てられた旧日本銀行岡山支店の建物が威風を放っていた。

平成元年に岡山県がこの風格ある建物を取得し、
県立図書館・公文書館として活用しようと計画していた。


ところが、平成10年頃に同建物のある中心街の空洞化が進み、
この建物の有効活用をめぐって「旧日銀岡山支店を活かす会」という
市民組織に活用策の検討を県が委託した。

活かす会は商工会議所、青年会議所、地元町内会、
まちづくりグループからなり、3年後に採集報告書を提出した。

最終報告書では、基本コンセプトを①歴史的建造物の保全と街づくり、
②都市生活の魅力づくり、③芸術文化の振興とし、
本館を「飲食機能を有する芸術文化施設」とすることとした。

また、管理運営方法については「公設民営方式」とし、
県の財政的負担を軽減するため、運営主体が自主企画公演による
入場料収入等を確保することが望ましいとされた。


こうして計画を進め、建物の改修などを図り、
平成17年に「おかやま旧日銀ホール」(愛称:ルネスホール)
として開館した。

趣のあるホールでは様々な魅力あるコンサート等が催され、
展覧会、展示会、講演会、パーティなどにも利用できる。

しかも、ゆったり飲食を楽しめ、夜間も開館されていて
利用者側の利便を満たしてくれる。
こうしてオープンの年にルネスホールは利用者数26,601人、
155万円の収益を生み出した。

http://www.renaiss.or.jp/about.html
ルネスホール

2014年12月19日金曜日

熱意や創意を持続させる仕掛け

洋服を着て、靴を履いて、ハンバーガーや
パスタなどを食べるなど現代の暮らしでは
西洋の様式になじんでいるせいか、
畳、障子、扇子、和紙など和のものにふれると心が落着く。

和のものが洋のものに比べてしっとりしたやさしさがある。
色も原色ではなく中間色が多く目にやさしい。

などなど和のものが好かれる理由はいろいろだが、
きものも、まさに和を代表する衣装のひとつだ。

大島紬、結城紬など日本を代表する絹織物は、
今もその伝統が受け継がれ、心をこめて織り上がっていく。


延喜式まで歴史をさかのぼることができる結城紬は、
2010年(平成22年)にはUNESCO無形文化遺産に登録された。

しかし、生産量は1970年代後半まで最盛期だったのだが、
現在は当時のおよそ20分の1まで落ち込んだ。

織元でも色や染の工夫、結城紬を使った携帯ケースなど小物の開発、
さらには革工房とのコラボでサメ皮の財布をつくるなど、
あの手この手の拡販策がとられている。


結城紬は全工程を覚え一人前になるまでに最低10年はかかるという。
そうした根気と忍耐の必要な仕事に今年4月から取組む女性がいる。

今泉亜季子さんで、彼女は栃木県小山市の職員である。
結城紬の伝承を目的に市が初めて採用した「紬織士」だ。

小山市の紬工房で、師匠の坂入さんから手ほどきを受けている。
今泉さんは幼い頃から手芸や裁縫が得意だったというだけあって、
のみこみが早く、9月には最初の一反を織り上げたという。

研修期間は4年と長く、完全習得に至るまでは大変だろうが、
こうした制度を行政がつくり、後継者を育てていくのは
いいことだと思う。

他の織物や匠の技を伝承していく業界では、
過去にこうした取組が行われたと思うが中座したものも多い。

熱意や創意を、長い期間持続させる仕掛けづくりは大変である。

http://www6.ocn.ne.jp/~oyamashi/tumugi-01.htm
結城紬

2014年12月18日木曜日

雨ニモマケズ 風ニモマケズ

雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ…

という宮沢賢治の詩は多くの人に知られている。

この詩を詠んだのは37才の生涯を終える2~3年前である。
その頃、賢治は岩手県一関市の東北砕石工場で技師として働いていた。

小さい頃から野山を歩きまわって岩石採集をしていた賢治は、
「石っこ賢さん」と呼ばれるほど鉱物に没頭したという。

それだけに東北砕石工場では、石灰を使った農地の改善を研究し、
中和剤として製品化して東京などへ自らセールスに出かけた。

その甲斐あって、以前は農業が始まる春先にしか需要がなかった石灰は
2倍以上の売上げを記録した。


ところが、残念なことにセールスに出向いた東京で病に倒れてしまう。
帰郷して療養生活に入り、その時に書いたのが「雨ニモマケズ」である。

同じ頃、賢治は「グスコーブドリの伝記」という作品を発表する。
この作品では、冷害と干ばつに苦しむ農民を、命を投げ出して救おうとする
ブドリという青年が描かれている。

作品の最後にこんなシーンが出てくる。

 ブドリが二十七の年、恐ろしい寒い気候がまた来るようでした。
 ブドリは大博士を訪ねました。
「カルボナード火山島を噴かせられないでしょうか。」
「できるが、仕事に行った最後の一人はどうしても遁げられない。」


遁げられない最後の一人は、まさに農村の生活向上に力を尽くし
病の床にある賢治そのものであると言っていいのかもしれない。

詩人であり、土に生きた農を愛する人だった宮沢賢治の想いを伝え、
彼の魂の輝きが宿る砕石工場の往時を偲ぶことができるのが、
一関市東山町にある「石と賢治のミュージアム」である。

http://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/6,0,149,html
石と賢治のミュージアム

2014年12月17日水曜日

選挙コンセルジュ!?

先日の衆議院選挙の最終投票率は52.66%で、
戦後最低だった前回おととしの選挙の59.32%を
6.66ポイント下回って、戦後最も低くなった。

大雪、ぼやけた争点などいろいろ理由はあろうが、
有権者の半分ちょっとしか選挙に行かなかった
という事実は重く受け止めなければならない。


学校で習った20才以上の男女が身分や収入などに関係なく、
だれもが一票を投ずることができるという
普通選挙を勝ち取るまでの歴史を考えれば暗澹たる気持ちになる。

選挙権を勝ち取るために命を張って闘った人がいるし、
そうした人の思いに応えるのは投票に行く、
政治に参加するという前向きな姿勢にほかならない。

とはいえ、一票を投ずる候補者がいない、政党がない、
という選挙権を放棄してしまいたくなる現実も存在する。


愛媛県松山市の選挙管理委員会から今年の11月16日、
愛媛大生と松山大生5人が「選挙コンセルジュ」に任命された。

選挙コンセルジュ…なにそれ?と思った方も多いだろう。

若者が選挙に関心をもち、投票を促すのが選挙コンセルジュで、
彼らはソーシャル・ネットワーク・サービスで投票を呼びかけたり、
投票日に時間が取れない学生のためにキャンパス内に
期日前投票所を設けたりといった活動を行った。


さらに、選挙への関心を高める取り組みについて調べてみると、
「未来は僕らの手の中プロジェクト」というのが見つかった。

このプロジェクトでは投票に行ったことを証明する投票済証を持参すると、
指定されたお店などで割引などのサービスが受けられたり、
登録されているバンドの演奏を無料で聴くことができる。

なんとか投票率を上げようという気持ちはわかるが、
投票した人に特典を付けるといった手法しかないのだろうか。


苦労して手に入れたものは、その人にとってずっと大事だが、
生まれた時から与えられていたものの大切さには気づかないことが多い。

http://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisei/senkyo/senkyoconcierge.html
選挙コンセルジュ

2014年12月16日火曜日

つながってこそ雁木

新潟県上越市の越後高田も、今は雪が降り続いていることだろう。
街道沿いの町人まちでは、家々の庇を伸ばした雁木通りが目を引く。

雁木は大雪から守るだけではなく、雨風や強い陽射しも防いでくれる。
越後高田の雁木通りは16kmほどに及び、
趣きのある町家にうまくとけこんで江戸情緒を醸し出している。

町家は道路に面して並んでいて、トオリニワと呼ばれる細長い土間が、
表の雁木から裏の畑まで貫通している。
トオリニワに沿ってミヤ、チャノマ、ザシキなどが並んでいて、
途中に吹き抜けがあるなど、まるで芝居小屋のような空間である。


また、雁木について言えばホームページに次のような一文があった。

「雁木とアーケードは違います。雁木は個々の家人が私有地を市民に
 提供しているものです。思いやりがこもっております。
 雁木と歩道は違います。雁木は家と道路のあいだの緩衝(クッション)の
 役目を持っています。歩道は通行の手段ですが、
 雁木はさまざまなコミュニケーションの場です。」

思いやりのこもる雁木の下でさまざまな親睦が生まれ育っていく、
「つながってこそ雁木」なのである。

雁木をつくった先人たちへの感謝を忘れず、今に活かそうとする
土地の人々の思いが伝わってくる。


越後高田では平成18年に雁木ねっとわーくが結成され、
50人余の会員が雁木の保存と活用を全市民の運動に拡大し、
上越市への施策提言を行うために様々な活動を行っている。

雁木についての学習会やシンポジウムを開くなどの啓発活動、
マップの作成やガイドの養成などの観光活性化活動、
高田地区を拠点とするまちづくり団体との提携や情報交換など。

こうした雁木のあるまちは、新潟県内では越後高田のほかには
新潟市、長岡市、糸魚川市にあるだけで、
県外では青森県の黒石市だけだという。

雪国の暮らしを守り続け、助け合い・譲り合いの心をつないで、
雁木は今に至っている。

https://sites.google.com/site/takadagangi/home
雁木ねっとわーく

2014年12月15日月曜日

連携の翼ひろげて

NHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」の効果もあって、
ウィスキーの売上げが好調だという。

ニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝氏を描いたドラマだが、
舞台となるのは北海道の余市町である。

積丹半島の付け根に位置し、ニシン漁の主要港のひとつであり、
明治時代には日本で初めて民間の農家がリンゴの栽培に成功した
といった水産業や農業においても先駆的な事業へ取り組んだ。


このチャンスを地域おこしの起爆剤にということで、
地元の小樽商科大学の大学生が
「商大生が小樽の活性化について本気で考えるプロジェクト」
を立ち上げ、講演活動や聞き取り調査などを行っている。

それに加えて新鮮だなと思うのは、
余市町だけではなく、蒸溜所がある仙台市、ブレンドして
出荷する工場がある柏市の関連3市町が手を取り合って
まちのPRに乗り出していることだ。


名前は「We!SKY(ウイスキー)プロジェクト」。
S=仙台、K=柏、Y=余市とそれぞれの頭文字を取っている。

https://www.facebook.com/weskyproject
We!SKYプロジェクトFB

3市町のバーテンダーの交流を図ろうと、
それぞれのまちをイメージした新しいカクテルを作ったり、
ウィスキーフォーラムを開いたりして
お酒だけではなく、いわゆる人のブレンドにも力を入れている。


「ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー」というコピーが、
かつて、サッポロビールのキャンペーンに使われた。

3つの都市が北緯45度付近にあり、優秀なホップを栽培できる
絶好の気候にあるということを伝えたフレーズであるが、
We!SKYがウィスキーの聖地を想起する言葉となり、
それぞれのまちが活気づくようエールを送りたい。

地域おこしもビフォー・アフターで言えば、
アフターにどれだけ力をそそぐかで物語が記憶となり財産となる。

2014年12月13日土曜日

がんばる地方の書店大賞

あんなイベント、東京・大阪などの大都市だから開催できるんだよ、
などと実行に移す前から断念している企画がないだろうか。

予算、場所、マンパワー、コンテンツなどなど諸々はじき出して、
ウ~ン、やっぱ地方では無理だよねえといったボツ企画はゴマンとある。

予算がなければないなりに、人がいなけれがいる人数で…
などと言ってるうちに、ムリムリのダメ出しがくる。


地方なりに、それなりにの思いでキラっと輝くイベントもある。
たとえば、今月4日に発表された「第3回静岡書店大賞」だ。

本屋大賞は全国の書店員がいちばん売りたい本を、
投票によって選ぶ賞として創設され、
NPO法人本屋大賞実行委員会が運営にあたっている。


しかし、静岡書店大賞は静岡県内で営業するすべての新刊書店の
従業員全てが投票権を有し、公立図書館・学校の司書も加わり、
およそ700人の投票によって大賞を決定する静岡の書店独自の文学賞だ。

今年で3回めを数え、小説部門の大賞には、
柚木麻子さんの『本屋さんのダイアナ」』が決まった。
大賞の他に児童書の名作ロングセラー部門、映像化したい文庫部門などがある。


地方を歩くと、本屋さんのないまちが多い。
昔は学校の近くやまちの中心部に必ずと言っていいほどあった本屋さんは、
どんどん減少していく傾向にある。

ネット販売や電子書籍などの台頭によって、
文化の拠点として、情報が集積する場所としての存在意義が薄れつつある。


しかし、北海道のくすみ書店みたいに
「なぜだ!?売れない文庫フェア」とか
「本屋のオヤジのおせっかい 中学生はこれを読め!」フェアなど
面白いイベントを行っている本屋もある。

くすみ書店の話は、またいつか取り上げることにして、
静岡書店大賞は、地域全体に活気を与える好イベントだと思う。

ローカル色、といった時に、あなたはどんな色をさしますか?

http://sstaisyou.eshizuoka.jp/c55716.html
静岡書店大賞

2014年12月12日金曜日

ありのままの名前で

新商品を開発すると、商品の中身はもちろんだが、
ネーミングも斬新で、奇をてらったものにすることが多い。

ところが、昔からずっと呼んでいた名前が親しみがわき、
古さかげんが逆に新鮮に聞こえることもある。


たとえば、鹿児島の名物である「げたんは」というお菓子も、
まさに下駄の刃そのものを表しているのだが、
(下駄の刃)の(の)を鹿児島弁らしく(ん)と読ませるだけで、
なんだか、やんわりとして面白みをかもしだす。


鹿児島県のお隣の宮崎県、宮崎県日向市でブランド化が進むのが
「へべすぶり」という商品である。

ぶりが付くから魚だろうとは想像がつく。
では(へべす)とは一体何なのか。


いろいろ検索してみると、へべす=平兵衛酢だとわかった。
平兵衛酢はカボスとかスダチのような柑橘類である。

この平兵衛酢を養殖ブリのエサとして与えて育てると、
ブリ特有の臭みが少なく、変色や色落ちも遅いという。


そこで「へべすぶり」の名でブランド化しようという
話になったのだが、平兵衛酢の平兵衛さんが気にかかる。

昭和62年、日向市富高西川内の広場に「平兵衛酢発祥の地」と
刻んだ平兵衛翁を顕彰する碑が建った。

平兵衛翁は江戸時代天保から弘化年間にかけて、
西川内地区に実在した人物で、平兵衛酢育ての親なのだ。

江戸、明治、大正、昭和と平兵衛酢は地元および近郷のみで
育てられ、愛用されてきた。


歴代の日向市長は商品力の高さに注目し、
なんとか日向の特産品として広く普及するよう振興策を図った。

一時期「サンズ」と名を変え、新たな普及拡販が進められたが、
へべすがなじみやすいとの地元の声を受けて、
平成元年再び「平兵衛酢」の名に戻した。

そして、今回のブリとのマッチングによって平兵衛酢は、
さらに大きく羽ばたこうとしている。

柑橘の王様へべさんが、漁業の神様えべすさんと交わって
どんなフルーティな味になったのか食してみたい。

http://www.miyazaki-katugyo.com/hebesuburi.html
へべすぶり

2014年12月11日木曜日

大切なタカラが、大きなチカラへ。

一度やってみたいけれど、いきなりはちょっと怖い。
やっぱり、最初はイロハを教えてくれる人がいれば…
と思ったことはないだろうか。

ロッククライミングというスポーツもまさにその一つで、
インストラクターなしに始めたという人は数少ないのでは?

実際の山肌ではなく、人工的なクライミングウォールだって、
いきなりとなると二の足を踏んでしまう。


こうしたスポーツ分野でも、総務省が派遣する
「地域おこし協力隊」のメンバーが活躍している。

茨城県の大子町は福島県と栃木県に接した県北にある。
大子と書いて(だいご)と読む。

この町にクライミング元ジュニア代表だった前橋市出身の
長谷川美鈴さんが地域おこし協力隊員としてやって来た。

今年4月のことである。


人工壁は2012年12月に完成し、クライミング指導員を養成したが、
うまくいかず県の山岳連盟の方々が運営にあたっていた。

そこに小学5年生の時からクライミングを始めたという
長谷川さんが指導することになり、ベストマッチングとなった。

さっそく長谷川さんを中心に組織が活性化し、
小中学生でつくる大子山岳会ジュニアクラブの会員は27名となった。
その中には那珂市や福島県矢祭町からの参加者もいる。


大子町は年少人口10%以下、高齢者人口35%以上と
茨城県内で最も少子高齢化の進む地域である。

そうした少子化が進む地域ではチームスポーツの練習が難しいが、
個人スポーツであるクライミングへは気軽に参加できる。

また、茨城県は5年後に国体が開催されることになっていて、
大子町から出場する選手の育成という目標も生まれた。


サッカーや野球に代表されるように、スポーツのチカラは大きい。
いろんな分野で頂上をめざす子どもが増えることは、
まちにとってもかけがえのない大切なタカラである。

http://ameblo.jp/ibakiratv/entry-11871627776.html
大子町【地域おこし協力隊】

2014年12月10日水曜日

あんこうの旬、到来。

本土最北端にある青森県大間町はまぐろの一本釣りが有名だ。
その大間から下北半島を南東へ下ると風間浦村がある。

風間浦村はお湯(温泉)と海の幸を活かした「ゆかい村」として、
地元の若い人を中心に活性化に取り組んでいる。

年末年始によく放映される大間のまぐろも美味しいにちがいないが、
風間浦村はややディープな味わいのあんこうの産地であり、
漁獲量は県内一の八戸市に次ぐ2位で88トンにのぼる。


あんこうといえば、吊るし切り、あんこう鍋、あん肝などを連想し、
グルメならずとも食指が動いてしまう。

地元の旅館では刺し身もメニューとして提供され人気を博している。
さらに、今のような旬の時季には、定番の鍋料理や煮こごり、
から揚げ、肝と身をミソであえた「ともあえ」なども出てくる。


村ではあんこうのブランド化をめざして、漁業者や商工業者が
一体となって統一ロゴを作り「風間浦村鮟鱇まつり」を行っている。

さらに、今年11月には第27回「食」と「漁」を考える地域シンポジウム
風間浦鮟鱇のブランド化と「ゆかい村」観光
水産資源を生かした観光地域づくりというイベントを開催した。

イベントの内容を見てみると、小漁村での先進事例の紹介、
東京のあんこう料理老舗専務による風間浦村あんこうの魅力、
「湯と食」のおもてなし観光の魅力づくりなどをテーマに、
リレートークやパネルディスカッションなどが行われた。


あんこうというブランド化された商品があっても、
料理やおもてなしが伴っていなければお客様は来てくれない。

そのあたりは百も承知で、もてなす側の教育を徹底し、
先般行われた青森県旅館ホテル生活衛生同業組合主催の
「スマイルマスター選定キャンペーン」において、
ここ下風呂温泉の【ホテルニュー下風呂】が
優秀スマイルマスターに選ばれた。


人口2200人ほどの小さな村だが、港の活気と下風呂温泉郷の湯の香、
そして、あんこうのなんとも言えない風雅な滋味がただよってくる。

風間浦村の冬の風物詩と定着した「風間浦鮟鱇まつり」は
本日12月10日から開催される。

http://blendboard.jp/organization/page/21050
風間浦村鮟鱇まつり

2014年12月9日火曜日

おもてなしの深さ

人様の家でコーヒーを出されたとする。
ふつうは、ありがとうございますと言っていただく。

でも、あなたがコーヒー大嫌いだったらどうだろう。
相手は親切心で淹れてくれたし、
嫌いでも無理して飲むか、ていねいに断るか…


ぶらっと観光地に出かけたとする。
初めての土地だからガイドでもお願いしようかな。
最近はボランティアガイドさんも多いし頼んでみるか。

そうやってガイドさんを紹介され、いざ観光へ!
「このお城は室町時代の中頃に築かれた典型的な山城の
 おもかげをとどめておりまして、藩主●●公の時に
 大火事で天守閣が焼けおちてしまい…」
と歴史の案内から始まった。

「そうなんですかあ~」「へえ~」「すごい~」などと、
最初はガイドさんの流暢な説明に感心していたが、
さすがに歴史もんばかりで、話がかなりマニアックになり、
「へえ~」も出なくなった、などということがないだろうか。


石川県金沢市のボランティアガイドは、ガイドさんならぬ
「まいどさん」の名で呼ばれている。

まいどさん歴11年の武野一雄さんは、
ガイドするお客さまの出身地や興味を聞いてから、
この方にとってベストな観光ルートとガイドを素早く組み立てる。

スタンダードではなく、カスタマイズするのである。


自分の知識やうんちくをひけらかさない、押し付けない。
お客さまからの質問に答えられないときは
「ごめん、わからんわ」と素直に謝る。

しかも、質問の答えを知りたさそうだったお客さまには、
後で調べて得意の絵手紙で答えを送るという心憎い配慮がある。

そうなんですね。サービスは決して画一的なものではなく百人百様。
こういうのを、お・も・て・な・し というのである。


金沢には平成6年にボランティア養成のための学校として
「社団法人金沢ボランティア大学校」が設立されている。

全国に先駆けて開設され、文化、歴史遺産など8つのコースがある。
観光コースなどは35名の定員枠がすぐに埋まるほど人気が高い。

https://www.facebook.com/pages/%E9%87%91%E6%B2%A2%E3%83%9C%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E6%A0%A1/392558474090199
社団法人金沢ボランティア大学校FB

その土地をどれだけ知っているかより、
まちや人をどれだけ愛せるかが、おもてなしの深さになる。

2014年12月8日月曜日

ユニークな着眼点

これはあくまで観賞用だっと思っていたものが食用になる。

植物の中で、根や茎や葉や実を食べても
ほとんどの花は食べないものが多いのではないだろうか。


ほおずきもまた、お墓に供える花くらいの認識しかなく、
調理のしようでは食物になると聞いた時は驚いた。

ほおずきの食用栽培と販売に力を入れているのが
岩手県下閉伊郡岩泉町にある早野商店である。

早野商店では10年ほど前から食用ほおずき事業に取組み、
今では岩手県内だけでも15組ほどの契約農家を持つに至っている。


食用ほおずきはミニトマトみたいな果実で、
芳醇な香りと甘酢っぱさが特徴で、
フランスでは付け合せやスイーツの材料に使われるという。

年間に2トンくらいを生産し、生食用は2~3割で、
残りはジャム、コンポート、スイーツソースなどに加工される。


早野商店の社長早野崇氏は元日本開発銀行の行員で、
仕事がら日本全国をまわり地方のありようをつぶさに見てきた。

その経験を活かし、地元の産業活性化にほおずきが使えないかと
銀行員を辞めてほおずき事業に打って出た。

まだ、食用ほおずきという知名度が低い、
生産も販売体制もなく一からのスタートであった。


食の世界は1社だけで市場に打って出るよりも、
他社との連携で付加価値を高めていくことができるとの思いから、
パンやお菓子などのメーカーとのコラボを進めている。

デパートでの試食販売やジャム博などイベントへの出展など
積極的な営業を展開中である。


早野商店のホームページを見ると、
こうした食用ほおずきに関するコンテンツと、
『おとりよせ王子(単行本)』という通販本の紹介がある。

この通販本が他と異なるのは一般的な記事と写真による紹介ではなく、
全ページコミック仕立てである。

全国の逸品を集めて、それをストレートな紹介ではなく
ストーリーを付けたコミックにしてあって、
コミックを楽しみながら、思わず商品が欲しくなるという仕掛けだ。


食用ほおずきといい、このコミックスタイルの通販本といい、
着眼点が実にユニークである。

http://i-hayano.jp/topics/index.html
早野商店

2014年12月6日土曜日

まちは、人がつくる。

工場の煙突から出る黒煙が洗濯物を汚し、窓も開けられない。

今から70年ほど前、工業力をメインにした戦後復興の陰には
こうした苦悩や苦痛に身を置かざるを得ない現実があった。


山口県宇部市はばいじん汚染がひどく、
1949年に反ばいじんの動議が議会に出され、満場一致で可決。

さっそく汚染の実体、そして市民の健康についても調査が始まった。
1951年の調査結果では、ひと月に降るばいじんの量は1平方キロあたり
55,86トンで、世界一灰が降るまちと報じられた。


その5年後に宇部興産㈱の副社長中安閑一氏がばいじん対策を提言し、
社内では”ダスト イズ マネー”の合言葉のもと
ばいじんのリサイクルを行い「宇部ホゾランセメント」を開発した。

このセメントは凝結力や耐水性が高く、ダムや海底工事に使われ、
10年で15億円を稼ぐヒット商品となった。

この利益はばいえんを集める集じん装置設置の資金にまわされた。


黒煙を吐き出す工場には電気集じん装置や遠心力集じん装置が付けられ
1961年の調査では16トンと3分の1以下に減った。

見上げれば青空がひろがり、地上には植樹された緑が輝いていた。

石炭から石油へ燃料が変わった際には、亜硫酸ガスの対策に取組み、
まちを花で埋めようと美化活動がさらに徹底されていく。

こうした一連の活動は「宇部方式」と呼ばれ、国際的な評価も高く、
環境の保護・改善に功績のあった個人または団体を表彰する
国連環境計画のグローバル500賞を受賞した。


公害対策と美化運動を進めていく中、
1958年に宇部駅前に『ゆあみする女』という彫刻作品が登場した。

この一体の像に、まちを美しくと願った市民一人ひとりの思いが重なり、
2年に1度の野外彫刻展「UBEビエンナーレ」が開催されることになる。

同展は25回、50年の長きにわたって続けられていて、
宇部市の精神的支柱でもあり観光の目玉ともなっている。

まちは、住む人によってつくられていくのである。

http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20141127/ecn1411270830006-n1.htm
公害対策で彫刻展50年

2014年12月5日金曜日

オイがつくってやるけん

軽car(カルカー)と聞いて、何を想像するだろうか?
軽い車だから、軽自動車のことかなと思う方がほどんどであろう。

軽carは車にはちがいないが、人力で荷物を運ぶリアカーである。
リアカーといえば鋼鉄製で重く、女性や子どもでは使いこなすのに難儀する。

ところが、軽carは13㎏と軽く、車体はシンプルで、
20インチのノーパンクタイヤが装着されている。
実際に使ったおばちゃんが「軽かもんですから…」と開口一番口にした。


この軽carを開発したのは長崎県南島原市にある中村輪業の中村耕一社長。
中村社長は工業系の大学を卒業し自動車ディラーのメカニックとして
働いていたが、実家の自転車店を継ぐために帰郷。

しかし、過疎と高齢化が進む故郷では自転車店の将来像が描けず廃業。
廃業後、再度会社への就職をめざして試験を受けるが不採用の連続。


落胆しながら目の前の海をぼ~っと眺めていたある日。
知り合いのおばあちゃんがゴミ袋を積んだ一輪車を押しているが、
ヨタヨタして危なっかしい。

リヤカーで運べばと声をかけたところ、「リヤカーは重たい」との返事、
そこで中村社長の技術屋魂がそう言わせたのか「オイがつくってやるけん」。

その日からリヤカーの構造や鋼材について猛勉強し、何百回も失敗し、
専門家に教えを乞うなどして試作に明け暮れ、ようやく完成した。

おばあちゃんのもとに試作品を届け、実際に使ってもらうと
「軽か~」と、すっかり気に入ってくれた。


ヨシ!軽carでいこうと販売に乗り出すが、何のツテもない。
中村社長は軽トラに軽carを積んで朝の6時から夜中の3時頃まで、
日曜も祭日もなく、あてもなく長崎県内を回ったという。

昼間は畑や港で農産物や魚を運んでいる人たちに軽carを見てもらい、
夕方くらいから飲食店をまわり、お店にチラシを貼らせてもらった。

そして極めつけは長崎ランタンフェスティバル。
冬の長崎の街を彩る祭りの会場を、軽carに3人の子供を乗せて引いた。


そうした努力が実って、半年くらいして第一号を受注することになる。
その後、大手運送会社からの大口発注などもあり軌道に乗ったかに思えたが、
東日本大震災によって注文がキャンセルされ会社存続の危機が訪れる。

しかし、苦境に立った時も中村社長は被災地へ30台の軽carを寄贈する。
発注をキャンセルした取引先を責めるのではなく、自分の経営の甘さを痛感し、
ひとまわりも、ふたまわりも成長して現在に至っている。

開発・生産の拠点はあくまでも地元、決してブレない信念を持って、
軽carは軽やかに、力強く、大地を踏みしめて明日へと進んでいく。

http://nakamuraringyo.com/
株式会社 中村輪業

2014年12月4日木曜日

面白さは味付けに過ぎない。

手ぬぐいを頭に巻いて長靴をはき、
作業着姿で大地に汗を流す若者の姿は、魅力的で頼もしい。

グループの名前は「トラ男」。トラクターと男前を掛けあわせた。
トラ男は秋田県の県北の若手農家などでつくる活性化組織だ。

http://www.torao.jp/
トラ男


トラ男の仕掛け人である北秋田市出身の武田昌大さんは、
どんどん進む農家の高齢化と、いつまでも上がらない所得の低さに
ショックを受け、3ヶ月かけて県内の農家100人を訪ねたという。

(きつい、汚い、カッコ悪い、臭い、稼げない、結婚出来ない)=6Kから

↑そんなイメージでとらえられている農業を、変えたい!↓

「夢が持てる」「やりがいがある」「嫁がやってくる」=3Yへ

武田さんは、ウェブサイトを通じて生産者と消費者が
直接つながる仕組みづくりを構想し若い後継者に訴えていく。

そして、燃える愛菜家・澤藤匠さん、金色の山男・鈴木豊さん、
水田の貴公子・小林岳央さんが加わってトラ男を結成した。


武田さんの得意分野であるITの技術を使って
メンバーの人となりを紹介したり、どんな場所で、どんな方法で
どのようにお米を作っているのかを紹介する。

匠さんのクロスリバーサイド農法、豊さんの1000フィート千枚田農法、
岳央さんの八千年ミネラルウォーター農法など、
三人三様の米づくりの手法がユニークである。


ウェブサイトでの販売はもちろん、首都圏での販促イベントの開催、
田植えや稲刈りツアーの実施など地道な活動にも力をそそいでいる。


「面白さ」は振り向いてもらうための“味付け”であり、
「面白さ」ありきで“本質”が欠けた取り組みでは意味がありません。

ゲームプランナーをめざしていたという武田さんは、こう語っている。

2014年12月3日水曜日

スマホ・携帯電話を巡拝帳に

お遍路さんで知られる四国八十八霊場巡礼の旅みたいに、
聖地を訪ねて行くものは根強い人気がある。

人生とはしょせん旅であり、
巡礼の中で生きていくための何かを得ようということなのか?


国引き神話とか八岐の大蛇など多くの神話が残る出雲でも
霊場めぐりをすることができる。

鳥取と島根県にある20の神社仏閣が宗派を超えて、
「ご縁を尊ぶ心」や「和の心」の大切さを発信しようと
出雲の国「社寺縁座の会」をつくり巡拝ルートを設けた。


巡拝ルートは∞(無限大)マークみたいな
横にした8の字の上に20の社寺が点在している。

一番霊場の出雲大社から二十番霊場の日御碕神社まで、
社寺に参ると参拝の証である朱印と護縁珠を授かる。

巡拝のモデルコースも紹介されているが、
だいたい2泊3日で全霊場をまわることができるようだ。

http://www.shinbutsu.jp/
出雲国神仏霊場を巡る旅

おもしろいことに、ここには「デジタル護縁珠」なるものがある。
これは、スマホや携帯電話が巡拝帳になるという代物だ。。

巡拝登録をして、それぞれの社寺でデジタル護縁珠を
集めていくというポケモンみたいなゲーム感覚のグッズだ。
1500円の巡拝絵馬を授かった方は、
より神々しいプレミアム版へアップグレード可能だとか。

わりとご高齢の参拝者が、やおら携帯電話を取り出し、
寺社の前で画面に夢中になっている姿を想像するだけでおかしい。

2014年12月2日火曜日

軌跡と奇跡

なにかをやらないと、奇跡なんて生まれない。
そんなことを考えさせられるのが、
「これぞ小清水!! 実行委員会」に関する活性化の話である。


オホーツク海へちょこんと突き出た知床岬の根っこの方に、
人口5000人ほどの小清水町がある。

基幹産業は農業で、小麦、じゃがいも、ビートなどである。
それぞれ品質は優れているのだが、これといった名物がない。


そこで、未来を担う子どもたちに何か郷土自慢を作りたい!
という思いで町内の熱い人が集まって「これぞ小清水!実行委員会」を設立。
2011年1月のことである。

翌月には地産地消を基本としたイベント「小清水屋台村」を開催し、
地元に馴染みのある澱粉と金時豆で作る「でんぷん団子」を名産品にする企画や、
子どもたちのために大きな雪の滑り台を作った。

イベントを通して地域の人々が喜ぶ姿見て、さらに盛り上がり、
ギネス記録となるような世界一大きいでんぷん団子をめざす。


そして翌年の小清水屋台村で、縦2.55m×横1.25m×厚さ3cm総重量155㎏の
巨大でんぷんだんごを作り、後日ギネス記録に認定された。


ギネスへの申請に関しても、申請費用の問題、英語での対応
などなどメンバーの中で議論を尽くしたことは言うまでもない。


この世界一大きなでんぷん団子のギネス挑戦の話を偶然耳にした人がいた。
九州博多の辛明太子製造、食品卸売りの老舗 山口油屋福太郎の山口社長である。

山口社長は自社で扱っているせんべいの原材料であるでんぷんの確保が困難で、
入手先を探していたところだった。

そこで北の生産者と南の製造・販売業者がマッチングして、
小清水町の閉校予定だった小学校が明太子せんべい「めんべい」工場に変身した。


ギネスに挑戦という、地場産品を目立たせたい気持ちに、
遊び心を加えながらの活動が、大きな奇跡を生み出したのである。

https://www.facebook.com/Korezokoshimizudayone/timeline
これぞ小清水!! 実行委員会FB

2014年12月1日月曜日

6年先を見据えて

とんでもない勘違いであった。
世界の人口は、ずっと48億人と記憶していた。

調べてみると、なんと72億2000数百万人もいた。(2014.12.1現在)
その中でイスラム教徒がだいたい16億人ほどで20数%にあたる。

イスラム教徒(ムスリム)は動物由来の乳化剤、ゼラチンが入った品などは
食していけないなどの厳しい決まりがある。

肉類などはイスラムの教義にのっとった処理を証明する「ハラル」認証が必要だ。

このハラル認証を受けていないために、イスラム圏へ輸出できない、
あるいは日本へ観光にやってきたムスリムに食を提供できないことが多い。

そこで、ハラル認証をいち早く受けて、ムスリム市場に先鞭をつけようというのが
熊本市であり、ハラル認証へ向けて官民一体となった取組みを展開している。

今年4月に熊本市はハラル産業開発公社とハラルに関する協定を結んだ。
ハラル産業開発公社とはマレーシア政府のハラル関係機関である。

http://halaljapan.jp/halalnews140404-1880.html
ハラルに関する協定締結

全国の自治体で協定を結んだのは熊本市が初めてである。


そして、11月26日。ムスリムの声を観光にということで
市内在住のムスリムに観光スポットを巡ってもらうモニターツアーを実施。

おみやげに関しては成分表示などがきちんとんなされているか、
食事施設や宿泊施設の受け入れ体制は万全かなどなどムスリムの目で
一つ一つチェックし、意見感想を述べ、改善点などが指摘された。

日本の国内市場が飽和気味なので、イスラム圏への輸出を試みる。
6年後の東京オリンピックは多くのムスリムが来日し
観光を楽しむにちがいない。

そうした先を見据えたムスリム対応であり、官が旗を振るのも好ましい。
あとは民間の努力と、もう一歩先をいく企画力にかかっている。

2014年11月29日土曜日

酒蔵のまちを歩く

佐賀県の南西部に位置する鹿島市。

鹿島といえば「祐徳さん」という言葉が返ってくるくらい
京都の清水の舞台を思わせる祐徳稲荷神社が有名である。

そして、宿場町の風情が残る肥前浜宿界隈。
白壁の土蔵や茅葺きの町家などが心をなごませてくれる。


また、佐賀平野は米どころでもあり、
良質の米と鹿島のまちにそそぐ多良山系からの良質な水を使い、
ここでは江戸時代から酒造りがさかんであった。

その清酒も焼酎の勢いに押され、ひところ消沈気味であった。

ところが、平成23年鹿島にある蔵元のひとつ富久千代酒造が
IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)という
世界最大規模・最高権威と評されるワインの品評会で
名誉チャンピオン・サケに輝いたのである。

もちろん、こうした栄誉は一朝一夕に降ってくるものではなく
蔵人たちの努力、研鑽、限りない愛があったことはまちがいない。


全国的にみても日本酒メーカーで元気があるのは、
アメリカはじめ国外への販路づくりに熱心な蔵元である。

安部総理が頻繁に海外へ出かけて政治的課題はじめ
様々な交渉にのぞむが、随行員の中に地元山口の
清酒メーカーの名前があったりすることにお気づきだろうか。


それはさておき、鹿島の蔵元がチャンピオン獲得とともに
始めたのは「鹿島酒蔵ツーリズム」である。

酒蔵めぐりとともに、鹿島にある宿場町の風情はじめ
歴史・文化・食・人情を味わって欲しいという企画である。


6つの蔵元の代表者と奥様(ご家族もありか?)の写真を
トップページにしたフェイスブックが開設されているが、
みなさんにこやかな表情で、ここに来れば美酒に出会える、
そんな気持ちにさせてくれるのである。

https://www.facebook.com/SakaguraTourism
鹿島酒蔵ツーリズム


2014年11月28日金曜日

なかなか感も、いいですね。

「あの建物、なかなかいいね」とつぶやいた時の
(なかなか)という言葉の意味合いを考えてみよう。

ものすごくいいわけではなく、テキトーにいいわけではない。

見過ごすわけにはいかない、一目置かざるをえない
そんな建物に敬意を表して、なかなかを発したわけだ。


このような人を唸らせる建物や景観などを
「なかなか遺産」に認定して後世に引き継いでいこう、
というのが国際「なかなか遺産」推進委員会の活動だ。

総合地球環境学研究所/東京大学生産技術研究所の村松伸氏と
東京大学生産技術研究所の腰原幹雄氏によって提唱されたもので、
二人はなかなか遺産の普及運動を推進されている。

ホームページが開設されていて、やんわりとした言葉で、
なかなか遺産の定義などが語られていて、なかなかおもしろい。

http://nakanakaisan.org/index.html
なかなか遺産ホームページ

ナニコレ珍百景と多少かぶるところがあるような気もするが、
ただ面白がって見るだけではなく次世代への継承という
フレーズが入っているところから、運動体とし育っていけば
なかなかの活動になるのかもしれない。


なかなか遺産の第一号には岩手県一関市旧達古袋小学校が認定され、
119メートルの長い廊下や校舎、校庭および小学校をつつむ
山や空や樹木までが、「なかなか」感を醸し出している。

認定されてから、見学で訪れる人も相次いでいるとか。


世界遺産に指定される「すごい」ものは数多くはないが、
なかなか感をいだくものは地域にありそうだし、
探検し、発見し、少しだけ学ぶことで地域が輝いていくにちがいない。

2014年11月27日木曜日

トンネルに光をあてる

「峠」という漢字は、実にわかりやすい形だ。
山の上と下、視覚的にも上と下の間が峠なんだとわかる。

列車や車が峠越えをしないで済むように
ショートカットしていくのがトンネルである。

鉄道全盛の頃はSLが黒煙を巻き上げて走り抜け、
なにかしらタイムトンネルを旅するような気分にひたれた。

自動車道のトンネルは現役のものが多いが、
列車のトンネルとなると廃線になったものは哀れである。

まわりの草は伸び放題で、入口の壁にも草が覆いかぶさり
中に一人で入っていくには、勇気を必要とする。


戦前にできたトンネルの工事には多くの人の汗が流され、
なかには作業中の事故で命を落とした人も多い。

そうした歴史を刻んだトンネルを見直し、活かそうというのが
NPO法人 愛岐トンネル群保存再生委員会である。

http://www.geocities.co.jp/ag_tunnel/index.htm
NPO法人 愛岐トンネル群保存再生委員会

愛知県の高蔵寺駅と岐阜県の多治見駅間のJR 中央線と庄内川
(玉野川・土岐川)を挟んだおよそ8 キロに及ぶ地域には、
旧国鉄時代の13 箇所ものトンネル群が残っているという。

こうしたトンネルという産業遺産に光をあてるとともに、
沿線に眠る玉野街道などの歴史遺産も掘り起こし、
広域住民に賢い利用を呼びかけるのが委員会の活動の主眼である。


トンネル見学会、トンネルコンサートなどトンネルに関わる
地域を人を巻き込んだイベントが定期的に開催されている。

その上、このNPOのすごいところは、保存再生のための募金活動を行い、
愛知県側のトンネル4基を含む廃線跡地16万1千平米の土地を
民間の地権者から買い上げたことである。

いわゆるナショナル・トラストを実現することで、
遺産の保存および再生活動を図ろうという気迫が伝わってくる。

2014年11月26日水曜日

石積みを学ぶ

コンクリートのない時代、その代わりとなるのは
自然石であって、橋や垣や擁壁などに使われた。

川面に映る石橋や天守閣を支える石垣は美しく、
重い石をよくも上手に組み上げたものだと感心する。

コンクリートで固めるよりも石積みにすると、
石と石の隙間が多様な生きものの住みかになるという。

また、弾力性があるので地震にも強く、再利用も可能である。


こうした石積みの良さや積み方を学ぶ「石積み学校」が
2013年3月から徳島県で開講した。

https://www.facebook.com/ishizumischool
    石積み学校FB

学校を立ち上げたのは、県内各地で石積みの修繕に取り組む
徳島大学大学院の真田純子助教(景観工学)で、
地元の石積み職人と一緒になって指導にあたる。

真田助教によると、石積み技術を持つ人・習いたい人・
直してほしい田畑を持つ人の三者のマッチングを狙ったもので、
修復できずに困っている人の田畑で修復作業を通じて技術を学び、
技術の継承と修復のボランティアを同時に行う複合的な目的を持つ。


考えてみれば、石積みに限らず大工仕事や農林水産業では、
代々受け継いできた技術が継承されることが少なくなり、
技術を必要としている人もあきらめざるを得ないケースが多い。

石積みの場合は里山の景観保全という意味からも秀逸のプロジェクトだ。

地方を車で走れば、ひところは風力発電の風車が林立し、
最近ではソーラーパネルが斜面を覆ってしまっている。

そんな中、石積みのある風景に出会うと、ひときわ心がなごむ。

2014年11月25日火曜日

マリコ人形、注目だよん。

アニメキャラとか地域のゆるキャラとか、
キャラクターを核にしたビジネスや地域活性化は数多い。

サンリオのキティちゃんに代表されるように
あたればビジネスチャンスは大きくふくらむし、
地域の活性にとっても利用価値が幅広いので重宝する。


ところが、現在のゆるキャラブームを見ていると、
もうひと味もふた味もひねらないと生き残りは難しい。

別に生き残らなくても、一時的な盛り上げ材料になれば
というのであれば、それでいいのかもしれない。

このように地域を背負ってしまうと、
関係者だけがキャラにぶらさがってしまうこともある。

また、地域を代表するにふさわしい…といった
予め設定された条件のもとで生まれるので、
いい意味でのアクがないのも残念である。


ところが、ここに紹介する「マリコ人形」。
なんだか妙に心に刺さる。

http://malico.jp/
マリコ人形

ちょっと不気味でキモかわいいマリコから、
「うまくいくわよん」とか「見逃しはだめよん」という
日本エレキテル連合あけみちゃん3号みたいな言葉を
かけられると、もう引き返すことができないような…


マリコは長野県富士見町在住の人形作家大御堂恵子さんが、
一体一体心をこめて作り、もうすぐ1000体に手が届く。

看護師や駅員、パン屋さんなど人物に扮したマリコがいるし、
ひつじマリコ、あんみつマリコ、マリコセロテープなど
なんにでも変身してしまう。

富士見町内でマリコの作品展が開かれたり、
町内のお店までマリコ人形を買いに来る客も多い。


こうした一アーティストのキャラによって、
地域が脚光を浴び、耳目を集めるケースもある。

要は、なぜマリコが今の時代に注目されるのか、
そのあたりのリサーチが必要なのかもしれない。

2014年11月24日月曜日

ヤギ・羊で半島を活性化

犬や猿などは集団をつくると、必ずボスが出て統治する。
しかし、羊はボスに導かれるのではなく、群れ自体で行動する。

それだけに、羊は人とのつきあいも古く、毛は衣類として
肉は食用として多くの恵みを与えてくれる。


このヤギや羊と一緒にエコな活動を行っているのが
長崎県の「島原半島ヤギ・羊ecoプロジェクト」だ。

https://www.facebook.com/ecoyagi
島原半島ヤギ・羊ecoプロジェクトFB

プロジェクトでは、以下のような活動に取り組んでいる。
1.荒廃地の除草
2.ヤギと羊のふれあいの場の確保
3.有明海のアオサの飼料化
4.羊を活用した地域特産品の開発

後継者がいなくなり、耕されなくなった田んぼや
種をまかれなくなった畑はすぐに雑草が繁茂し荒れ地となる。

そこにヤギや羊を放てば、人の手による除草の手間がなくなる。
ヤギや羊とふれあう場所を設けたり、刈り取った羊の毛から
ステキなファッションアイテムを生み出すことも可能である。

さらにおもしろいのは、島原半島をつつむかのような有明海に
繁茂するアナアオサを回収、洗浄しペレット状にすると、
羊などの家畜用飼料として活用できるというのである。


強いものが弱いものから搾り取るのではなく、
お互いが気持ちを通じ合わせ、ないところを補っていく。

そんな古来から築いてきた互助・共助の関係を活かしているのが、
本プロジェクトの取組なのである。

2014年11月22日土曜日

氷の世界を、さらに究めて

魚や野菜などを冷やさないといけない時に、
私たちは水をかけるとか、氷を入れることを思いつく。

家庭ではそれでOKなのだが、これが市場に荷揚げされた
大量の新鮮な魚だったらどうだろう。

もちろん、魚をトロ箱に入れ砕いた氷をドボドボというのが
今でも一般的に行われている方法である。


しかし、冷やされる魚の方はどうだろう。
キビナゴのような小魚だったら氷で魚体が傷つくこともある。

また、砕いた氷だと魚体との接触面が一様にならないために、
冷やしムラができるという欠点もあった。


そこで開発されたのが「スラリーアイス」という短時間で魚を冷却でき、
魚体を傷つけたり、冷やしムラもできないすぐれものだ。

http://www.izuitekkou.co.jp/slurryice.html
スラリーアイスの長所

スラリーというのは、いわばお粥のような状態のこと。

微小な氷粒子と塩水などの液体が混ざり合い、
流動性のある氷になったのがスラリーアイスである。
流動性があるから、スラリーアイスはホースからトロ箱へ
スピーディに投入することができる。


このスラリーアイスは高知工科大学と地元企業の産学連携で開発され、
土佐名物「ぴんぴ鰹のたたき」はじめ魚類の保冷に活用されている。

また、スラリーアイスは魚類だけではなく、くだものの濃縮果汁を
作る際にも利用できるということで大きな期待がかけられている。

2014年11月21日金曜日

物語をたどれば、人の思いへ。

ファストフードの食事ではなく、地域ごとに受け継がれてきた地元の食生活を見直し、
家族や友人との食事の時間を大切にしようというのが、
イタリア北部にあるブラという小さな町で生まれた「スローフード」運動である。

この運動が多くの人の共感を得て、暮らしやまちづくりを見つめ直す運動に広まり、
「スローライフ」という言葉が生まれた。


日本でもいろいろな団体や人によって取組まれている。
その中で2004年にNPO法人を立ち上げて現在に至っているのが
静岡県掛川市を拠点にさまざまな活動を続けているスローライフ掛川だ。

http://www.slowlife.info/
NPO法人スローライフ掛川

年度ごとの実績を見ていけばわかるが、
「スローな花火大会」「ライフスタイルデザインカレッジ」
「掛川栗焼酎プロジェクト」「早朝スロースタイルサイクリング」などなど、
とてもユニークで地域のモノやヒトと結んだプログラムである。


自主事業以外にも行政とタッグを組んだ共済事業や受託事業も多い。
その中で、オモシロイ!と感じたものが「掛川市地域資源の物語化事業」。

http://slowlife-k.wix.com/kakegawa-story
掛川市地域資源の物語化事業

この事業では「掛川の物語を旅してみようガイドマップ」を作り公開するもので、
(小夜の中山・日坂・東山・粟ヶ岳編)は「動画01~27」と「印刷物」が連動した
「QRコードつきマップ」となっている。

内容は掛川市「小夜の中山・日坂・東山・粟ヶ岳」のめぐり方や楽しみ方を、
「変わらぬ人の思い」をテーマに紹介している。


それぞれの動画コンテンツを見ていると、動画に登場する人々のあたたかさと
作り手さんのやさしさや心くばりが伝わってきて、スローな気分になる。

そして、ただ景色が美しいとか食べ物がおいしいだけではない、
景や食の中に息づく物語を上手に吸い上げて映像化しているのがすばらしい。

しかも、旅行会社も見習いたくなるようなコース紹介もわかりやすく便利だ。

まさに「物語にふれることは、人の思いにふれること」である。

2014年11月20日木曜日

かまぼこ板で、ピンポン

なるほどね、と思った。
かまぼこ板を使って卓球をするというアイデアである。

山口県長門市は仙崎かまぼこで有名である。
かまぼこといえば、当然のことながら板付きである。


そのかまぼこ板をラケット代わりにしてラージボールを打ち合う。
これが「仙崎かまぼこ板っ球大会」で、去る15日に開催された。

http://www.nanavi.jp/blog/archives/17796
「仙崎かまぼこ板っ球大会」の予告

ペア50組100人の参加者で盛り上がり、勝敗だけでなく
衣装やパフォーマンスで盛り上げた人にも特別賞が与えられた。


ひところ温泉卓球が話題を呼んだが、
全国の温泉地では、ラケット代わりにスリッパや風呂おけ、
鍋ぶた、入湯手形などを使って盛り上げている。

長門市の板っ球大会はかまぼこ板というのがユニークであり、
実際かまぼこを食べた後の板を思い切り捨てるのは
しのびがたいと思っている方も多いのではないだろうか。

卓球だけではなく、お正月の羽子板にもなりそうである。

あるいは、ファンが多い仙崎出身の詩人金子みすゞさんの
詩を刷り込んで付加価値をつけるといったものはいかが?


わずか15,1×5,3×1cmのかまぼこ板には、
まだまだ地域おこしのタネが蒔けそうである。

2014年11月19日水曜日

苦節30年、至高のキャビア

それは、まるで黒い宝石と呼ぶにふさわしい。
食材ではあるが、食べるのが惜しいような深い艶が美しい。

庶民の口にはなかなか入らないキャビアの多くは外国産だが、
宮崎県で30年の歳月をかけたジャパン・キャビアが昨年完成した。

30年前といえば1983年。
この年は東京ディズニーランドが開園した年であり、
NHKの朝の連続テレビ小説で「おしん」がブレイクした。


この年から、まさにおしんのような忍耐と頑張りで、
宮崎キャビア事業組合では国産キャビアの研究が続けられた。

5年後の昭和63年には、宮崎で育ったチョウザメから
初めてのキャビア製造にこぎつけている。


しかし、味覚や品質がまだまだ不十分だったのか研究は続く。

平成15年から23年までの9年間は世界基準のキャビア製造技術の
リサーチに6カ国をまわっている。

もちろんリサーチのかたわら研究は続けられているわけで、
平成16年に国内で初めてシロチョウザメの完全養殖に成功し、
平成24年にキャビア熟成技術を開発した。


キャビアはチョウザメの卵で、ただ取り出しただけではダメで、
熟成することによって、高貴で香り高い味が生まれるという。

世に10年ひと昔などというが、その3倍の歳月をかけただけあって、
宮崎キャビア1983は写真を見ただけで魅せられてしまう。

http://www.caviar.or.jp/about/
宮崎キャビア1983

味や香り、食感などできばえに関してプロから高い評価を得て、
市場投入と相成った。


キャビア効果が宮崎県をどう押し上げていくのか、
これからの30年をじっくり見つめいきたい。

2014年11月18日火曜日

ずっと心に残るのは…

「どこかの天体から人がきて地球の美しさを
 教えてやらねばならないはめになったとき、
 一番にこの種差海岸に案内してやろうとおもったりした」

青森県八戸市にある種差海岸の素晴らしさを作家司馬遼太郎は、こう綴っている。


無論、ここも先の大震災の被害を被ったが、復興へ向けて整備が進み、
八戸市の戦略的観光振興の拠点として地域の人たちの取組にも注目したい。

朝もやの中の海、朝日が登りはじめる頃の海、光りあふれる海、
暮れなずむ海、星の光の中でたゆたう海…

同じ場所でも時刻によって風景は変化し、見る人の心を魅了する。

ご当地の特産品といった食べものも、出されたままいただくのではなく、
歴史を訪ね生産や調理の現場に立ち会えば、味も変わってくる。

そうしたベストなタイミングで場所を訪れ食を楽しむためには、
その土地に住む人々の心からのおもてなしがなければできない。


八戸では今月7日に八戸観光コンベンション協会が企画して
「種差海岸魅力再発見」と称したモニターツアーを実施した。

いわゆる従来型のビューポイントやグルメなど定番体験ではなく、
寒い浜での月見会、女将さんから南部せんべいの焼き方を教わる、
波の音を聞きながらの早朝ヨガといったものである。

そして、女将さんに代表されるようにガイド役は地元の人が担当し、
訪れた人たちとの人間的なふれあいを深めていく。


旅のアルバムをめくっていると、地元の古老と話し込んだ、
中学生が走りながら名所へ案内してくれた…
などという記憶がないだろうか。

ずっと心に残るのは、その土地のそこに暮らす人との会話や
ふれあいである。

http://blog.livedoor.jp/kanko_hachinohe/
八戸観光ブログ

2014年11月17日月曜日

ベンチをつないで、心もつなぐ

ツィッターやフェイスブックなどITを通してつながるのもいいが、
やはりリアルな席で人と人が面と向き合うか隣り合うの関係もいい。

ツナベン…ツナをふんだんに使ったお弁当ではなく、
ツナガルベンチの略称である。

長さ70cmほどの小長椅子(ツナベン)を一つ、二つ、三つ…と
どんどんつないでいって、木と木だけではなく人と人もつながって
いこうというユニークな取組みだ。

http://tsunaben.jp/
ツナガルベンチ


このツナベンを自ら作り、つないでいくイベントを開催しているのが
岐阜県中津川市付知町で木に関わる仕事に携わる「ツナガルベンチの会」
のメンバーである。

座席に文字を書いたり絵を描いた思い思いのベンチを
長く長くつないで、なんと614台という記録を達成した。

長くつながったベンチに腰掛けて達成感と
くりひろげられるイベントに心をひとつにするのもいい。


ツナベンに使われているヒノキは地元材であり、
伊勢神宮の式年遷宮などにも、ここのヒノキが使われているという。


せっかくだから、ツナベンをキット化してイベント会場の
レンタル椅子として製品化するとか、
ミニツナベンなど家庭内でちょいと使える便利グッズにしたり、
記念品やみやげ品になるようにさらにミニチュア化したらどうだろう。

また、ツナベンに腰掛けて最前列から最後尾まで
何かをリレーしていくようなゲームを考えたら、
さらに盛り上がるかもしれない。

2014年11月15日土曜日

七島灘を越えたイ草が元気だ

日本の伝統的な内装材である畳を敷いた部屋は心がなごむ。

しかし、30~40年前くらいから洋風の間取りが増え、
新築の家で畳を敷いた和室の数は少ない。

そうなると、畳屋さんが少なくなり
畳表の原料であるイ草をつくる農家が減ってくる。


ところが、大分県国東半島だけで作られる「七島イ」が元気だ。

http://shitto.org/index.php
七島イ保存会

七島イとは七島藺草のことで、日本で畳表に使われているイ草とは異なり、
ふつうのイ草の切り口が丸いいのに七島イは三角である。

名前の七島とは鹿児島県のトカラ列島を意味する。
トカラ列島は10ほどの有人無人島が連なって琉球弧を成しているが、
このあたりの海域は七島灘とも呼ばれ海の難所だ。

その昔、琉球から七島灘を越えて国東半島に伝えられた七島イは、
藩の外貨を稼ぐ特産品となるほど農家の手で大事に育てられてきた。

10月に封切られた役所広司、岡田准一共演の『蜩ノ記』にも、
七島イが出てくる。


この幻のイ草ともいうべき七島イを永々と守り続け、
後継者を育て、新たな魅力づくりに取り組んでいるのが七島イ保存会。

ホームページを丹念に見ていくと、
定例会の開催、他の地区のまつりに参加しての実演販売、
七島イ工芸品の開発、大分空港に七島イのキッズコーナーOPEN、
七島イ織り手セミナー開催など地に足の着いた活動が継続されている。

畳表、土壁、障子、瓦、戸板など草、土、紙、木など
自然素材を使った和の建材に、もっと光をあてて欲しい。


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2014年11月14日金曜日

たたらの里が熱い

スタジオジブリ作品の中に「もののけ姫」がある。

物語に(たたら場)が出てきて、
ムラの女達が元気よくたたらを踏むシーンが印象的だった。

たたら場のモデルになったのは島根県の吉田村(現吉田町)
というのを聞いたことがあり、7~8年前に偶然通りかかり
展示館らしきものを見た覚えがある。

金銀銅鉄など金属は昔から重宝がられ、
統治者は鉱石が出る山をおさえ、厳しく管理した。


中国山地にはたたら場が多く、この歴史遺産を
まちおこしに活かそうという取組みもさかんである。


島根の隣の鳥取県日野郡には「奥日野たたらの里」があり、
たたらのことを詳しく学べる「たたらの楽校」が中心となって、
ふいご祭りを開催したり、たたら場探検を行ったりしている。

http://tatara21.com/
奥日野たたらの里

祭りでは紙芝居を使ったアトラクションがあり、
内容はたたらの時代にタイムスリップするメルヘン物や
『喜八郎の決断』『たたらの御引っ越し』という実話もので
見る人の好奇心をグイグイと引きこんでいく。

さらに、たたらをモチーフにした小説を発刊し、
その本を読んだ感想文を募集するなど
あの手この手で人々をたたらに巻き込んでいる。


鉄=たたらと聞くと強く、固く、熱いイメージで
活性化に関わっていらっしゃるメンバーも
熱い男性が多いように見受けられる。

しかし、その舞台裏では女性たちがたくましく
たたらを踏んでいらっしゃるにちがいない。


冒頭引用のもののけ姫の中で、
たたら場にやってきたアシタカのセリフ
「いい村は女性が元気だと聞いています」


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2014年11月13日木曜日

博物館でブライダル

「なんとまあ!」な顔写真である。

三重県総合博物館(通称みえむ)館長布谷和夫氏の表情が
なんともユーモラスで、失礼ながら笑ってしまった。

http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/about_MieMu.htm
ようこそMieMu(みえむ)へ

みえむは今年4月に始動した総合博物館で
「ともに考え、活動し、成長する博物館」が理念である。

自由に見て、触って、聞くことができる体験展示はじめ
いつ来てもオモシロイことをやっている、をめざしている。


博物館、歴史資料館、図書館、水族館、動物園など
公私を問わず全国にはいろんな施設がある。

そうした施設で開催される大きな企画展は年2~3回だが、
みえむでは6回も開催する。

初年度とあって張り切り過ぎの感もあるが、
これが、いわゆる役所好みの「前例」になるのだから、
欲張ってくれた方が利用する側としては嬉しい。


その企画展の中で、来年1月から開催されるのが
「ふたりのウエディング事情」という、
えっ、博物館で婚活でも?と思わせぶりなタイトル。

館内で実際に結婚式をとり行うなど型破りのイベントもあり、
内容の詳細は蓋を開けての楽しみである。


こうした公的施設のチャレンジャラスな企画で、
民間企業や団体、さらには県民すべてを
がんがん巻き込んでいって欲しい。


イベントの成否は別として、熱い想いにマルをあげよう。

2014年11月12日水曜日

自転車に乗って、よみがえるもの。

昨日はスワクルという自転車をテーマにした話だったが、
今日は自転車を回想療法に使おうというもの。

排気ガスを出さずエコな乗り物である自転車は、
ふだんは通勤・通学・レジャーの足として親しんでいるが、
車のようにボディをつけたベロタクシーというものもある。

福岡や札幌市内ではNPO法人などが運営していて、
観光案内、手軽な市内散策、子どもや高齢者の送り迎えなどに
重宝がられている。

また、ボディには企業や商品の広告が入っていたり、
広告媒体としても目を引く存在である。

http://velotaxi-fuk.com/
福岡のベロタクシー


そのベロタクシーを認知症などの療法のひとつである
回想法にという試みもおもしろい。

タクシーに高齢者を乗せて、市内の有名な場所や
昔ながらの風景を楽しませ、往時を思い出してもらう。

昔よく行ったレストランから芳しい香りが流れてきたら…
商店街からなつかしい音楽が聞こえてきたら…

香りや味覚や音やシーンが五感をくすぐり、
忘れかけていた記憶がよみがえるかもしれない。

未来の夢を描くことで元気いっぱいになる若者がいて、
過去を取り戻すことで元気までいただく高齢者が生まれるのなら
まさに人の輪までまわりだすにちがいない。

http://www.voluntary.jp/weblog/myblog/782/37629#37629
「ベロタクシーを活用した回想法事業」概要

2014年11月11日火曜日

乗りたい自転車、走りたい場所

11月も3分の1が過ぎたのに、そんなに寒さを感じない。
秋晴れの空の下を自転車のペダルを踏んで散策するのも楽しい。

ロードレースやオフロード走行を楽しむ人もいれば
タンデムで観光地をのんびりという自転車好きも多い。


とりわけ風光明媚な観光地では環境にやさしい自転車がいい。


そんな観光のためと、土地で育まれてきた
ものづくりの資質を活かしたまちづくりが、
長野県の諏訪で取り組んでいる「スワクル」である。

http://www.suwacle.jp/
諏訪サイクルプロジェクト

諏訪サイクルプロジェクトを縮めてスワクルと称しているが、
フレームに木を使った自転車の生産、
親子で自転車づくりが楽しめるダンボールキックバイク組立キット、
景勝地で自転車とともに座れるクロスベンチの設置などなど。

また、諏訪湖ぐるっとサイクルマップの作成や
住民参加型のDIYイベントを開催したり、
人々の行動を促す仕掛けも起動している。


時計やIT機器など精密機器の製造で名を馳せる諏訪ならではの技を、
サイクルプロダクツに注ぎ込み、
そのプロダクツがすばらしい環境にとけこんでいくというイメージは
実にすばらしい考え方だと思う。


木製サイクルならぬ竹製のバンブーサイクルというのを
以前ネットで見た気がするが、
竹の里でもスワクルのようなまちづくりができるのではないだろうか。

2014年11月10日月曜日

地名にはワケがある

丹生というように「丹」の字がつく土地は、
硫化水銀を含む鉱物と関係があると、かつて学校で習った。

名は体を表すというが、柿の木坂は柿の木があっただろうし、
地名にはいわれがあって、掘り下げていくと新たな発見がある。


鹿児島県熊毛郡西之表市中割地区。
ここに「生姜山」という地名だけが残っていた。

その名の通り、ここではかつて生姜が栽培されていて、
集落にはそこそこの活気もあった。


年々過疎化の波が押し寄せ、人家が減り
いつしか地名だけが残るだけとなってしまった。

この「生姜山」という地名にに関心を持った遠藤祐未さんは、
持続可能な島おこしをとの思いで、生姜の復活に取り組んでいる。

生姜そのものの生産直売、南米エクアドル産のカカオで作ったチョコレートに
中割産ショウガを加えたジンジャーチョコレートを販売している。

また、種子島沿岸から汲み上げたミネラルたっぷりの海水や雨水を原水に、
なかわり地域で飼育されている黒毛和牛の糞尿から作られた堆肥、
そして微生物からできた活性水を農作物の栽培に使用している。


地域にすっぽり入って、こうした新たな資源の掘り起こしを行い、
その資源を栽培、商品化していくま作業は並大抵のことではできない。

遠藤さんはもともと西之表市出身だが、十数年故郷を離れていた。
そこで、まずふるさとの今や昔を学ぼうとコミュニティ・カフェをつくり
いろいろな情報を吸収していった。

そして、生姜山との出会い

地元の医学博士に相談したり、農園サポーターを募集したり、
いろんな力を結集しながらの地域おこしはすばらしい。

http://www.nakawari-gingerfarm.com/
なかわり生姜山農園

2014年11月9日日曜日

読書通帳に記帳する

本を月に何冊読むだろうか?
公立の図書館から年に何冊借りているだろうか?

公立の図書館も以前は一回で借りられる冊数は
2冊か3冊くらいだったが、今は5冊、10冊と大量に借りられる。

借りられるのはいいけれど、それが逆に積ん読を助長しかねない。
あるいは、速読ならぬ飛ばし読みはまだいい方で、
めくることしかしなかった本も多々ある。


だから、貸出冊数を少なくした方が、本のためにも
借りる人のためにもいいのかもしれない。


さて、貸す側である図書館も、武雄市立図書館の出現依頼、
いろんなサービスを考えるようになった。

開館時間の延長をはじめ、まずは来館者増をもくろんだ
試みを始めているところが多い。


紹介するのは、香川県の三豊市が始めた「読書通帳」である。
通帳に読んだ本を記帳していき、メモや評価も書き込める。

http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/education/20141105000391
読書通帳


単純なアイデアではあるが、
読後の本について感想をまとめるなんてことはあまりしないので、
通帳への記帳が増え、通帳が貯まっていくことに
喜びを覚える人も多いのではないだろうか。

さらに進めていけば、アマゾンではないけれど、
あなたにふさわしい本をおすすめします的な
サービスも可能になるにちがいない。

2014年11月7日金曜日

ブレずに楽しく、ワクワク感を創出

プラモデルにしろ鉄道模型にしろ
おもちゃというのは、
いくつになっても心をときめかせてくれる。

なかでもTAMIYAの名を聞けば、
居ても立ってもいられないという人も多いだろう。


静岡市には、TAMIYAやBANDAIなど
大手のホビーメーカーがある。

しかも、木製模型の時代から全国に名を馳せ、
優秀な模型職人が静岡に集まって
昭和31年には現在の静岡ホビーショーの先駆となる
「第一回生産者見本市」が開催されている。


そこに目をつけた静岡市は静岡茶、まぐろ、桜えびと並んで
ホビーに関する情報発信をしようと
静岡ホビースクエアを設けて活動してきた。

とりわけ、イベントゾーンでのイベントの開催が半端ではなく
ホビーファンならずとも行きたくなる。


たとえば、最近のイベントでは、
TAMIYA SHOWCASE 開催
向島由賀さん特別講座「プチシュータワー」を作ろう!
幼稚園の遊びと生活展 ~夢の国の世界を冒険しよう!~
といった具合である。


ファン層がひろいホビーだから、
そうした催しができるんだ、という人がいるかもしれない。

でも、実際の運営に関わっている人は、
たえず魅力づくりについて模索されているにちがいない。

と同時に、与えられたタスクを苦痛と感じるのではなく、
むしろ楽しみながら取り組んでいらっしゃるようにも見える。

なぜなら、ホームページの新着情報のところを読んだだけでも、
微に入り細にわたった心くばりとともに、
情報を発信する側の楽しさが感じられるからだ。


なんといっても、ワクワク感の創出とブレないコンセプト、
そしてスタッフが楽しんで推進していくというのは、
シティプロモーションの必須条件である。

http://hobbysquare.jp/news/
静岡ホビースクエア新着情報


2014年11月6日木曜日

境目から始める

以前、奄美大島の住用でマングローブの森を歩いた。

マングローブとは海と川が接する場所であって、
ここにはヒルギ類はじめいろんな動植物が生息している。

住用の場合、巨大なヤシガニ、巨大なシジミ、巨大なモダマなど
ジャンボサイズの生きものに驚いた記憶がある。

こうした自然がつくった淡水と海水が接する場所とともに、
人がつくった国と国の境もまたおもしろい場所だなと思う。


藩政時代は国境に関所があって、手形がないと通行できなかった。

世界を見れば、国境はもちろん州境などにも検問所があって、
いきなり武装した兵士に銃を突きつけられたりする。


国盗りに明け暮れた戦国時代を偲んでか、
境を接する隣県どうしで領土の争奪をかけて
綱引きなどを開催しているところがある。

今川VS武田の故事にちなんだ遠州対信州の国盗り綱引き。

http://www.at-s.com/news/detail/1174136095.html
国盗り綱引き

こうした催しは、文句なしに盛り上がる。

地域の運動会でも集落対抗のリレー競走とか、
背負っているものがあると力が入る。


対抗戦がきっかけになって越境交流が深まれば、
県だとか市だとか町といった行政区画にとらわれない
新たなアイデアが生まれるし、双方が盛り上がっていく。


ほとんどの自治体が姉妹都市盟約を結んでいるが、
名ばかりの形式的なつきあいで、
膝突き合わせた本気モードのやりとりは少ないのではないだろうか。

周辺部である境目から始めてみるのもおもしろい。

2014年11月5日水曜日

ダムカレー、ソーラーせんべい

最初に名前を聞いた時は「???」という感じだっった。

それは、黒部ダムで有名な「ダムカレー」。

B級グルメコンテストなどでしばしば目にし、
ネットで調べると、本家黒部のほか日吉ダム、小山ダム、
水上ダム、あの八ッ場ダムなど全国で20近くのダムカレーがあるという。

http://www.dam-net.jp/contents/daminfo_curry.html
水源地ネット


なぜ、ダムにカレーなのだろう?

難工事だった黒部ダム。
昭和32年5月、工事現場は大破砕帯にぶつかり毎分40トンもの出水にみまわれた。
水温は4℃という厳しい環境の中、工事は24時間体制の不眠不休で続けられた。
現場で冷えきった作業員の体を暖めてくれたのが
飯場で出るピリ辛カレーだったという。

いきなり黒部ダムカレーではなく、ちゃんと歴史に裏打ちされた
物語がカレーの中につづられている。

こうして黒部ダムカレーが生まれるのだが、ご飯は堰堤の形にすべし、
ルーは必ず堰堤の内側に流すべしなどの決まりがある。

http://kurobedam-curry.com/what/index.html
黒部ダムカレー

その他の地域のダムカレーも名前の通り、
まんなかにダムとおぼしき仕切りがあるのが特徴である。



ダムの周辺には桜並木や
秋に色づく木々が植えられていて花見や紅葉狩りのスポットが多い。

そこにあやかって、シーズン限定の花見弁当、紅葉狩りおむすびなどを
開発してはいかがなものだろうか?

あるいは、ガムやキャラメルなどのお菓子でダムのパーツを作り、
積み重ねていけばダムが完成するというのもおもしろいかもしれない。


いずれにしろ、どちらかというと無機的な人工物であるダムが、
アイデア次第で親しみやすくなるというのはいいことである。

橋とか風車とか、にわかに増えた太陽光発電の横にも
いろんなグルメやグッズがあっていい。

このセンベイは、目の前の太陽光パネルでできた電気で
焼き上げました、なんていう感じだろうか…

2014年11月4日火曜日

コツコツ、地道に一歩一歩

先を見据えながら、時代とともに
地域を変えていくことができるならば、
疲弊する割合も低いのだろうが、
現実はなかなかそうはいかない。


島根県の西に益田市という人口5万人ほどのまちがあり、
内陸部の中国山地に匹見町という地区がある。

今頃は表匹見峡の紅葉が見頃で観光客も多い。

この匹見町は近年UターンIターン者が増えつつあるという。
保育所の入所数が数年前の倍以上になった。


なぜか?

ひとつは東日本大震災によって関東圏から引越してきた人々。
そして、山、水、緑といった自然につつまれた中での
本物の田舎暮らしを夢見て移住した人々。

いくら理想の土地であったとしても
他の土地からやって来ると馴染むまでにはたいへんだが、
ここでは新・旧住民の垣根を取り除く方策もとられている。

そのひとつが保育所の保護者らでつくる子ども会「つちのこファミリー」で、
月一回、子育てや暮らしについての情報交換の場をもっている。

仕事の面では、ワサビという魅力的な産品があり、
美しい水と緑の中でワサビ栽培に取り組む人が多い。


理想に燃えて移住したのに地元民との折り合いがうまくいかず、
夢破れて都会へ帰ったという話はありがちだが、
定着率が高い匹見では、移住者の心を捉えるための地道な活動があった。

ここには、詳しく紹介できないが、
もともと出雲市内の新聞社に勤めていて、町誌編纂の縁で益田市に
お住いになり匹見町のまちづくりコーディネイターをされている
石橋留美子さんの下記の報告の中に語られている。
http://www.pref.shimane.lg.jp/npo/forum_2010_shimane/6th_subcommittee_meeting.html

2014年11月2日日曜日

シャッターを無用の長物に

「兵どもが夢の跡」「シャッター街」

そんな光景を目にすると、心まで沈んでしまう。
バブル景気がはじけた後のテーマパークの残骸、
扉を固く閉ざしたままの高級リゾートホテル…

街中やロードサイドにも、
すすけてぺんぺん草が生えた大型店の
哀れな姿を目にすることがある。


そうした夢の跡にも、黙々とひたむきに
地に足をつけてがんばっている地元の商店がある。


北海道室蘭市の中島地区。
鉄のまち室蘭の中心街も、一時期大型店舗が
こぞって進出してきたが、2年前にほぼ撤退。

このままでは、地域全体の活気が失われるということで
商店街はコンソーシアム(共同体)を組んで
にぎわいづくりに知恵をしぼり実行に移している。

「ふれあいサロンほっとな~る」を
商店街の活動や市民のふれあいの核として
イベントの開催はじめ多目的な活用を図っている。

また、加盟店それぞれが渾身の一品をおすすめする「一店逸品」、
商店主が講師となってプロの知識や技を伝授する「まちゼミ」の開催、
無料循環バス「お元気号」の運行、「お元気抽選会」、
さらには、ゆるキャラ「ほとなる君」によるPRなど元気いっぱいだ。

毎月発行の「中島こんそ通信」には近況報告と
翌月に開催されるイベントが掲載されていて、
地元をなんとかしたいという人々の熱い気持ちが伝わってくる。

http://www.nakajima-s.com/index.html
室蘭中島商店街HP


顔が見える、冗談が言える、心が通じ合う、
もしもの時はわがことのように相手を気づかう…

こうした関係まで深まれば、
シャッターは無用の長物になるのかもしれない。



蛇足だが、私は大学生の頃にサイクリングで室蘭を訪れたことがある。
青森港からフェリーで津軽海峡を渡り室蘭港に着いたのが夜の10時過ぎ。
寒い駅前でシュラーフをすっぽりかぶって寝た覚えがある。


2014年10月31日金曜日

方言でふるさとを活性化

 “ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく”


石川啄木の歌のように、人は生まれ育ったふるさとの言葉に
気持ちがぐぐっと引きよせられることがある。

また、異郷の人も知らない土地の知らない言葉に
親しみを覚え興味を示すこともある。


ふるさと言葉=方言を地域おこしにというのは昔からある手法で、
方言大会、方言検定、方言グッズなど数え上げれば切りがない。

先般、方言の中では難解な部類に入る鹿児島弁を
人気のLINEスタンプにしたというのが話題になった。


下記は宮城県の仙台弁を単語カードにしたというもので、
第一弾は昨年9月に発売して、すでに1万部を売ったという。


単語カードにしたというアイデアもなかなかで、
これを開発した会社は『あきた4コマち!!』(秋田県に関する「あるあるネタ」を、
女子高生キャラが4コママンガでズバリ紹介!)というフェイスブックページを運営していて、
こちらも実に楽しい。


女子高生キャラが、ややこむずかしいテーマに挑むというのは
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
あたりからの流れだろうが、アテンション、インタレストといった
AIDMAの法則にのっとっていて、にくい手法でもある。


方言は文字にした時のおもしろさ+耳にした時の楽しさがあるから、
そこらあたりを商品価値に加えれば、オッと思うものが生まれるはずである。

かくいう私は、その手のグッズを構想中で、机上のプランはまとまっている。
後は制作資金集めと販売および運営方法を確立するのみなのだが…

2014年10月29日水曜日

家をDIYで、しかも後のつながりも

家や家具が作れる木材キットがある。
坪単価30万円ほどで、素人でも作れる。

販売元は震災で大きな被害を受けた陸前高田市の
株式会社「紬」という会社である。


社長さんは大工さんでもなく左官さんでもなく、
ソーシャルマーケティングの仕事などをやっていた人物だ。

彼は陸前高田の人ではなく、震災復興の事業に携わったのが縁で、
預金100万円をはたいて会社を立ち上げた。


詳しい情報は下記のURLに掲載されている。
http://smartbusiness.jp/news/1728



建築に関してずぶの素人が、資金もわずかなのに、
震災で加工工場が機能しなくなり
余っていた気仙杉をなんとか活用したいという思いひとつで
起業していったのはすごいことだと思う。

しかも、工芸品といった規模の小さなビジネスではなく、
大きな市場を創造するビジネスをという展望のもとに
がんばっているというのもすばらしい。



地方の商品開発は、作った、売ったでピリオドとなることが多いが、
新しい市場を切り開き、DIYというものづくりの
楽しみが人と人をつなげていくという
連続性のある展開は実に楽しみである。


あとは震災から得た地元の知恵をどうもりこんでいくか、
そんなことを考えながらKUMIKIシリーズの今後に
注目してみたい。

2014年10月27日月曜日

ひとつよりふたつ、ふたつより…

特産品にしろ新しい技術にしろ、
ひとつだけというのは、よほど群を抜いていないかぎり
目立たないし、埋没してしまうことが多い。


近年の地域おこしを見ていても、
単騎勝負ではなく複数もしくは塊でというものが多い。


地域のグルメコンテストで上位に入れば、
開発したお店だけで販売するのではなく、
地域一帯のお店で盛り上げていく。


たとえば、鹿児島県枕崎市の「枕崎鰹船人めし」なども
ベースは白飯に鰹の最身をのせて出し汁をかけて食べる
漁師料理である。


これを市内の料理店が一丸となって取組み、
その店なりのひねりをきかせて
味わってもらうという趣向である。


同じ味をそれぞれの店でということであれば、
食べる側も楽しみがない。

この店はこういう味だったけど、お次はどうかなという
期待感をもってのれんをくぐることができる。

https://www.facebook.com/mkfunadomeshi
枕崎鰹船人めしフェイスブック



一方、新潟県燕市の「燕三条工場の祭典」は、
金属加工を中心とした工場を公開し、イベントを開くというものである。

ものづくりというくくりに60ほどの工場が集まるというもの
ここならではの歴史とスケールを感じさせる。

のみ、たがね、かんな、ほうちょう、やっとこなど和の道具から
ナイフ、フォーク、ペンチ、アウトドア用品など洋の道具をつくっている
工場の技、人、心にガッツリ出会えるという企画は
行ってみたいなあという気持ちを起こさせてくれる。

http://kouba-fes.jp/about-2014/
工場の祭典


ひとつよりふたつ、ふたつよりもっともっとである。

2014年10月25日土曜日

「シカのフン」の元

奈良のシカは国の天然記念物に指定されている。


かつて、大女優吉永小百合さんが

奈良の春日野 青芝に腰をおろせば 鹿のフンフンフンフーン 

と熱唱されていて、マジ?と思ったことがある。


そのシカのエサを確保するのもたいへんで、
牧草などの飼料が年間130トン、660万円が必要だとか。



一方、伊丹の大阪国際空港。
こちらには、騒音をものともせず滑走路の間に雑草がたくましく育つ。

あまり伸び放題になれば見た目が悪く、
飛行機の離発着に影響を及ぼすかもしれない。

そこで、年3回ほど草刈りをするのだが、
刈り取った雑草をシカのエサにということで乳酸菌で発酵させた。


こうしてできた空港飼料は栄養価が高く、保存性もいいという。
しかも無償提供で、かかるのは輸送代のみ。年間30万円ほど節約できる。

シカを管理する団体はもちろん、大阪空港にとっても、
さらにシカにとってもグッドな三方一両徳のアイデアである。



空港がない奈良県が空港の雑草をという発想がオモシロイ。



お金をかけて廃棄したり処分したりしているものが、
あるところではお金を出しても欲しいものなのかもしれない。



高い栄養価 エサ代節約 鹿にも好評



2014年10月22日水曜日

「うどん県」から「さとう県」へ

四国の香川といえば讃岐うどんの本場で、
近年の県のPRコピーは「うどん県」である。

いきなり、うどん県とは思い切った表現だなあ
と最初に見た時は感心しきりであった。

要潤はじめ香川出身のタレントさんを動員して、
うどん県を懸命にアピールしている。



その「うどん県」が、近いうちに「さとう県」に
なってしまう?かもしれない。



シリコンバレーならぬ「ホワイトバレー」構想というのがあり、
その主役は砂糖である。


砂糖といっても一般的な砂糖ではなく、
自然界にわずかだけ存在する希少糖である。


希少糖は50種類以上あるが、いずれも取れる量が少なく
高価なために、なかなか食品として一般に流通することはなかった。


そこを香川大学の先生が研究を重ねて、
「D-プシコース」という希少糖に変換する技術を編み出したのである。


「D-プシコース」は砂糖の7割の甘さがあるのに
カロリーはゼロ。


夢のような砂糖で、お菓子や飲み物、料理にと
食品関連のメーカーが希少糖に、まさに食指を動かしている状態である。


美容・健康という魔法のキーワードがついた商品に、
消費者はいくらでも金を払うという流れは変わらない。


ホワイトバレーにちなんで、砂糖の代わりに希少糖を使った
Xマスケーキを作って売り出せばおもしろいかも?


http://www.pref.kagawa.lg.jp/kisyoto/
希少糖プロジェクト


2014年10月21日火曜日

お酒とアニメ

その日本酒の名前は「秀一」。

秀一と聞いて、いったい誰を思い浮かべるのだろう?

記事によると、秀一とは機動戦士ガンダムのシャアの声優池田秀一さん。

池田さんが彦根市で開かれたイベントに参加した時に、
地元のバー店主中村さん、蔵元である中澤酒造の杜氏中沢さんと知り合い、
このたびの「秀一」の商品化につながったという。

池田さんが清酒党なのか知らないが、
蔵元としてはガンダムのシャアをラベルに使いたいところだろうけど
版権があってなかなかお金がかかる。

そこで、声優の池田さんの名前をいただいたということだろうか。

仮にシャアをラベルに使ったりすると、未成年者にも絶大な人気を誇る
ガンダムだから、お酒という商品の特性上好ましくないこともあるのか。



逆に、

「あれ、秀一?この人、だれ?」

「池田秀一という俳優さんですよ。昔は『次郎物語』といった
 テレビ映画などにも出ていらっしゃいました」

「ああ、そうなんですかあ~」

「今は機動戦士ガンダムのシャアの声優さんとして有名ですけど」

「そうですか、私もガンダム大好きでしてねえ」

などとガンダム世代の若いお父さんが買っていかれるのでは…
次郎物語世代は還暦前後のおじさんたちだから、
いやあ、なつかしい等と言ってぶら下げていくのかも。


いずれにしろ、そうした物語(ストーリー)が語られていくことで
商品は浸透していくのである。



http://www.kyoto-np.co.jp/shiga/article/20141016000050
池田秀一さんの名前を関した酒に関する記事