小さい頃、年に何回か家を訪ねてくる富山の薬売りのおじさんが楽しみだった。
赤い置き薬の箱の中味をを手際よく調べては、不足している薬を補充し、
家族としばし歓談し、帰り際にプラスティックでできたコマや紙風船をくれた。
越中富山の薬売り、と言われても九州の片田舎では、越中がどのへんにあるのか
まるで見当がつかなかった。
長じてマーケティングの本などを読んでいる時に、富山の薬売り、
とりわけ置き薬という手法を絶賛している記事に何度かお目にかかったことがある。
使ったぶんだけの料金をいただく、使ったぶんを補充していく「先用後利」という仕組みだ。
江戸時代から始まった富山の薬売りは1961年頃は1万人以上いたという。
それが減少の一途をたどり、2013年は957人になってしまった。
ドラッグストアが増えたり、コンビニやネットでも薬が買えるようになり、
訪問するお宅も夫婦共働きで不在が多いなど効率面でも悪くなる一方である。
それでも、命を守る仕事という使命感、代々築いてきた人と人との絆を守りたい、
などなどを誇りとしてがんばっている人たちもいる。
越中富山の赤い薬箱、実家をさがしても見つからないかもしれない。
赤チンキ、ケロリン、正露丸、ピラなど薬の名前を聞いただけでもなつかしい。
http://www.jienology.com/toyama1.html
富山の薬売りに学ぶ事業スピリット
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